February 081998
春淺し止まり木と呼ぶバーの椅子
戸板康二
最近、バーというところには行ったことがない。若いころには気取りもあってよく出かけたが、ちゃんとしたバーは神経が疲れていけない。料金も馬鹿にならない(こちらの理由が本音?!)。ほっとするためには、大衆酒場にかぎる。太宰治の写真で有名な銀座の「ルパン」には何度か入ったことがあるが、椅子はまさに「止まり木」で、座ると足が宙に浮いた。この句も、そんな高い椅子に腰掛けての発想だろう。浅いとはいえ、春は春だ。「止まり木」にとまる春鳥になったような気分も悪くはないと、作者は上機嫌である。上手な句でもなんでもないが、この気分はいまどきの呑み助けにも気持ち良く通じるだろう。はしゃいだ句も、たまにはいいものだ。作者は著名な演劇評論家であり、推理小説も書いた。1993年没。『袖机』(1989)所収。(清水哲男)
December 232009
志ん生を偲ぶふぐちり煮えにけり
戸板康二
ふぐ、あんこう、いのしし、石狩……「鍋」と聞くだけでうれしくなる季節である。寒い夜には、あちこちで鍋奉行たちがご活躍でしょう。志ん生の長女・美津子さんの『志ん生の食卓』(2008)によると、志ん生は納豆と豆腐が大好きだったという。同書にふぐ料理のことは出てこないが、森下の老舗「みの家」へはよく通って桜鍋を食べたらしい。志ん生を贔屓にしていた康二は、おそらく一緒にふぐちりをつついた思い出があったにちがいない。志ん生亡き後、ふぐちりを前にしたおりにそのことを懐かしく思い出したのである。同時に、あの愛すべきぞろっぺえな高座の芸も。赤貧洗う時代を過ごした志ん生も、後年はご贔屓とふぐちりを囲む機会はあったはずである。また、酒を飲んだ後に丼を食べるとき、少し残しておいた酒を丼にかけて食べるという妙な習慣があったらしい。「ふぐ鍋」という落語がある。ふぐをもらった旦那が毒が怖いので、まず出入りの男に持たせた。別状がないようなので安心して自分も食べた。出入りの男は旦那の無事を確認してから、「私も帰って食べましょう」。それにしても、誰と囲むにせよ鍋が煮えてくるまでの間というのは、期待でワクワクする時間である。蕪村の句に「逢はぬ恋おもひ切る夜やふぐと汁」がある。『良夜』など三冊の句集のある康二には「少女には少女の夢のかるたかな」という句もある。『戸板康二句集』(2000)所収。(八木忠栄)
February 022014
火に焚くやむかしの戀も文殻も
戸板康二
文殻は、読み終わった古い手紙です。「穀」が実のある状態なのに対して、「殻」は抜け殻です。だから、この焚き火はよく燃えている情景です。「むかしの戀」が情を吐露しているので、下五には即物的な素材を用いたのでしょう。したがって、「戀」の字も旧字体でなければなりません。言霊で糸と糸とをつなごうとする心が戀であるならば、終わってしまったむかしのそれは心に絡みついたり固結びになっていて、もうほどけません。むかしの自分を成仏させるためにも、抜け殻は火に焚く必要があります。掲句は、過去の自分の告別式をモチーフにした、脱皮と再生の儀式と読みます。『袖机』(1989)所収。(小笠原高志)
July 102016
ここにここに慶喜の墓梅雨曇
戸板康二
前書に「谷中」とあります。何人かで墓地を散策、あるいは吟行中。「ここにあった、ここにあった」の声が出て、最後の将軍、徳川慶喜の墓を見つけました。梅雨曇りのおかげで日差しは強くなく、やや湿りがちですが、それほど暑くないお散歩日和のようで座はなごやかです。「ここにここに」の声が出て、一同お墓に気持ちを寄せているからでしょう。そしてもうひとつ、読む者には、ひらがなと漢字を使い分ける効果を伝えています。「ここにここに」というひらがなの表記をくり返すことで、墓地を歩く一行は、句の中に「ここにここに」という足跡を残しています。「こ」で一歩。「ここ」で二歩。俳句だから「ここにここに」で百歩くらい。このひらがなの使い方は、 意味に加えた視覚効果です。下駄の歯形のようにも見えてきます。句集は縦書きなのでもっとそうです。少し迷ってやや回り道をしたので字余りなのかもしれません。そんな想像を読む者に託して、中七以下は、画数の多い漢字表記が中心です。「慶喜」は固有名 詞であるうえに、激動の時代を生きた彼の人生を思うと、ひらがなカタカナでは軽すぎます。「梅雨曇」は、この三文字で空を灰色に覆い尽くす力があります。上五はひらがなで軽くビジュアルに、中七以下は漢字で重厚に。日本語を読めない人は、この文字の配列をどのように見るのでしょう。世界には315種類の文字がある中で、複数の文字を使い分けているのは日本語だけです。使い分けを遊べる文字をもってる楽しさ。『花すこし』(1985)所収。(小笠原高志)
July 202016
小使の愚痴聞いてやる蚊やりかな
戸板康二
俳句を読んでいると、いつの間にか私たちの日常から姿を消した物や事に出くわすことが多い。それは季語だけとは限らない。俳句が私たちの生活の変遷を、反映していることは言うまでもない。それだけ俳句は、否応なく日常生活に密着しているということ。「小使」も「蚊やり」もそうだ。昔の学校や役所の小使さんは、いつの間にか「用務員」さんと名称が変わってしまった。中学・高校時代、小使さんと話したり、からかわれたりした(先生たちとは違った)思い出が懐かしい。人のいいその顔は今もはっきり覚えている。また今は電気蚊取りが主流だが、蚊取り線香などが出まわる以前、縁側で祖父が火鉢で松葉をいぶしていた光景も記憶のすみに残っている。小使さんはストレスがたまる仕事だったと思う。夏の夜、尽きることない愚痴を聞いてやっているのだ。愚痴の内容はどうであれ、主人公はもっぱら聞き役だ。かたわらで、蚊やりは細く長く煙を立ちのぼらせているといったあんばい。ただ「うん、うん」と聞いている。康二の夏の句に「ひとへ帯母うつくしく老いたまふ」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|