自転車の老人が倒れた。助け起こすと「運動神経が鈍くなって」と切ない声だった。




1998ソスN2ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0821998

 春淺し止まり木と呼ぶバーの椅子

                           戸板康二

近、バーというところには行ったことがない。若いころには気取りもあってよく出かけたが、ちゃんとしたバーは神経が疲れていけない。料金も馬鹿にならない(こちらの理由が本音?!)。ほっとするためには、大衆酒場にかぎる。太宰治の写真で有名な銀座の「ルパン」には何度か入ったことがあるが、椅子はまさに「止まり木」で、座ると足が宙に浮いた。この句も、そんな高い椅子に腰掛けての発想だろう。浅いとはいえ、春は春だ。「止まり木」にとまる春鳥になったような気分も悪くはないと、作者は上機嫌である。上手な句でもなんでもないが、この気分はいまどきの呑み助けにも気持ち良く通じるだろう。はしゃいだ句も、たまにはいいものだ。作者は著名な演劇評論家であり、推理小説も書いた。1993年没。『袖机』(1989)所収。(清水哲男)


February 0721998

 二月商戦眉目秀麗のピエロ得て

                           ねじめ正也

から「二八(にっぱち)」といって、二月と八月は商売人の厄月。物が売れない月である。そこで商店街では、いろいろと工夫をこらして客寄せをする。作者のところでは、にぎやかしにピエロを雇うことにしたのだが、やってきたその人の素顔は眉目秀麗の美男子だったので、みなびっくりした。と同時に、美男子のピエロに一抹の不安も感じている。なにせピエロといえば、親しみやすい愛敬が売り物なのだから、こんな美男子に本当にピエロがつとまるのか、という不安である。しかし、しかるべきルートを通しての話なので、商店街としてはもはや前進あるのみ。やるっきゃない、のである。というわけで、半信半疑のままに「いい男のピエロ」に「二月商戦」の宣伝を託しての複雑な心境を詠んだ句と見た。このとき、作者は東京は杉並区高円寺で乾物屋を経営していた。長男である作家・ねじめ正一の小説『高円寺純情商店街』に、町の雰囲気や人々の模様が活写されている。なお、句の作者であるねじめ正也氏は、この二月二日に七十九歳で他界された。合掌。『蝿取リボン』(1991)所収。(清水哲男)


February 0621998

 倖かひとり鳥貝の寿司食ふは

                           小池一覚

は「しあわせ」。「寿司」は夏の季語だが、この場合は「鳥貝」で春。鳥貝とはまた奇妙な名前だ。味が鶏肉に似ているからだとか、軟体部が小鳥の形に似ているからだとか、命名の根拠には諸説がある。冬から春にかけてが旬だ。作者の好物なのだろう。多少懐に余裕があったので、一人で寿司を食べている。ひさしぶりに幸せな気分だ。食べているうちに、しかし、だんだんとさびしくなってくる。なんだか、家族や職場の同僚をさしおいて、自分一人だけがいい気になっているような気がしてきたのである。軽い自己嫌悪の気分に見舞われている。つまり、こっそりと贅沢をしている自分が嫌になりつつあるというところだろう。先日ラジオで、退役した外交官が「国連の明石さんが遊びにみえて、寿司でもつまもうかということになって……」と、気楽に話していた。この話を聞くまで、私は「寿司をつまむ」という表現をすっかり忘れてしまっていた。「つまむ」には元来の意味である単なる食べ方もあるが、こう寿司が高価になってくると、金持ちの余裕みたいなニュアンスもくっついてくる。私など、「つまみに行こうか」などと言ったことはない。ところが、今でも「つまむ」と日常的に気楽に言える人が、存在するのである。ただし、寿司をちょっと「つまめる」身分の人には、この句の味はわからないだろう。(清水哲男)




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