February 271998
根分して菊に拙き木札かな
小林一茶
ガーデニング流行の折りから、ひところは死んでいたにも等しい「根分け」という言葉も、徐々に具体的に復活してきた。菊や花菖蒲などの多年草を増やすには、春先、古株の間から萌え出た芽を一本ずつ親根から離して植えかえる必要がある。これを「根分け」という(菊の場合は「菊根分」と、俳句季語では特別扱いだ)。一茶は四国旅行の途次、根分けされた菊に備忘的につけられた木札を見かけて、にっこりとしている。あまりにも拙劣な文字を判読しかねたのかもしれないが、その拙劣さに、逆に根分けした人の朴訥さと几帳面さとを読み取って、とても暖かい気分にさせられている……。現代のように、誰もが文字を書けた時代ではない。読み書きができるというだけで一目も二目も置かれた時代だから、たとえ小さな木札の文字でも、注目を集めるのが自然の成り行きであった。そのことを念頭に置いて、あらためてこの句を読み返してみると、一茶の目のつけどころの自然さと、その自然さを無理なく作品化できる才能とが納得されるだろう。(清水哲男)
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