春は選抜から。やっぱり野球はいいなア。というのは、あまりにソボクすぎるかなア。




1998ソスN3ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2531998

 風吹かず桃と蒸されて桃は八重

                           細見綾子

あ、とてもかなわないな。文句なしだな。そう思う句にときどき出会う。俳句好きの至福の瞬間である。揚句もそのひとつで、なんといっても「蒸されて」という比喩の的確さには、まいってしまう。梅でも桜でもない「桃の花」の臨場感とは、こういうものである。めずらしく風のそよろとも吹かない春の日、桃の傍らに佇む若い作者の上気した顔が、目に見えるようだ。作者は、桃の花の美しさを、「蒸されて」と、いわば肌の感覚で見事に描いてみせている。花を愛でるというよりも、花に圧倒されている自分を、つつましくも上品にさりげなく、みずからの若さの賛歌に切り替えている技術が素晴らしい。桃の花も八重ならば、作者の若々しさも、いま八重咲きのなかにある。『桃は八重』所収。(清水哲男)


March 2431998

 春の夜の汝が呱々の聲いまも新た

                           中村草田男

月は別れの季節でもある。別れていく気持ちはさまざまだが、相手の人生行路どころか、自分のそれさえ定かではないところに、感傷的にならざるをえない大きな根拠がある。「じゃあ、またね」と軽く手を振って別れ、一生会わずじまいになる人もいる。この句は「末弟の門出」連作四句のうちの最初の一句。1943年(昭和18年)、戦時中の作品だ。すなわち、句は末弟の応召に際して詠まれているのであって、今生の惜別を覚悟したものである。末弟とは、作者とは二十一歳も離れた双子の兄弟なので、当然、作者は彼らの生誕の時の様子は覚えているというわけだ。でも、逆にいえば兄弟とはいうものの、実感的には親戚の子くらいの意識だったかもしれない。いつまでも子供だと思っていた末弟たちが、もう兵隊に行く年齢になったのかという感慨が、なんだか嘘のようにも思え、かつての春の夜のおぼろな気分に溶けていく……。決して上手な句ではないけれど、なべて別れの抒情とはこのようなものだろう。それにつけても、こんな理不尽な別れがなくなった時代に、偶然にも生を得た私たちとしては、月並みな言い方だが、その幸福を思わないわけにはいかないのである。『来し方行方』(1947)所収。(清水哲男)


March 2331998

 はなはみないのちのかてとなりにけり

                           森アキ子

者は俳人の森澄雄氏夫人。1988年没。ふらんす堂から出ている森澄雄句集『はなはみな』(1990)は愛妻との交流をモチーフにした一本で、後書きに、こうある。「昭和六十三年八月十七日、妻を喪った。突然の心筋梗塞であった。折悪しく外出中で死目に会えなかったことが返す返すも残念である。巻首の(中略)墓碑銘の一句は、わがために一日分ずつ分けてくれていた薬包みに書きのこしていたものである。……」。というわけで、ここではこれ以上の野暮な解説は余計だろう。そして今日三月二十三日は、森夫妻の結婚記念日である。『はなはみな』には「われら過せし暦日春の夜の烈風」など、その都度の結婚記念の句もいくつか載せられている。ふと思ったのだが、妻を題材にした句だけを集めて一冊の本にできる俳人は、森澄雄以外に誰かいるだろうか。寡聞にして、私は他に知らない。なお、句の季語は四季を通しての「はな」を指しているので、無季に分類しておく。(清水哲男)




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