三月尽。明日から生まれてはじめて会社に入る若者が、最も緊張する日だ。頑張れ。




1998ソスN3ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 3131998

 かゝる代に生れた上に櫻かな

                           西原文虎

書に「大平楽」とある。こんなに良い世の中に生まれてきて、そのことだけでも幸せなのに、さらにその上に、桜の花まで楽しむことができるとは……。という、まさに大平楽の境地を詠んだ句で、なんともはや羨ましいかぎりである。花見はかくありたい。が、この平成の代に、はたしてこんな心境の人は存在しうるだろうか。などと、すぐにこんなふうな物言いをしてしまう私などは、文虎の時代に生きたとしても、たぶん大平楽にはなれなかっただろう。大平楽を真っ直ぐに表現できるのも、立派な気質であり才能である。作者の文虎は、父親との二代にわたる一茶の愛弟子として有名な人だ。まことに、よき師、よき弟子であったという。一茶は文虎の妻の死去に際して「織かけの縞目にかゝる初袷」と詠み、一茶の終焉に、文虎は「月花のぬしなき門の寒かな」の一句を手向けている。『一茶十哲句集』(1942)所収。(清水哲男)


March 3031998

 花こぶし汽笛はムンクの叫びかな

                           大木あまり

夷の花は、どことなく人を寄せつけないようなところがある。辛夷命名の由来は、赤子の拳の形に似ているからだそうだが、赤ん坊の可愛い拳というよりも、不機嫌な赤子のそれを感じてしまう。大味で、ぶっきらぼうなのだ。そんな辛夷の盛りの道で、作者は汽笛を聞いた。まるでムンクの「叫び」のように切羽詰まった汽笛の音だった。おだやかな春の日の一齣。だが、辛夷と汽笛の取り合わせで、あたりの様相は一変してしまっている。大原富枝が作者について書いた一文に、こうある。「人の才能の質とその表現は、本人にもいかんともしがたいものだということを想わずにはいられない。……」。この句などはその典型で、大木あまりとしては「そう感じたから、こう書いた」というのが正直なところであろう。本人がどうにもならない感受性については、萩原朔太郎の「われも桜の木の下に立ちてみたれども/わがこころはつめたくして/花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ」(「桜」部分)にも見られるように、どうにもならないのである。春爛漫。誰もが自分の感じるように花を見ているわけではない。『火のいろに』(1985)所収。(清水哲男)


March 2931998

 浜近き社宅去る日のさくらかな

                           芦澤一醒

勤の季節。住み慣れた土地を離れるのは、なかなかにつらいものがある。職場を変わることよりも、生活の場が変わることのほうが数倍もしんどい。新しい土地への期待もなくはないけれど、もうこの潮騒ともお別れだし、折しも咲きはじめた桜の花も再び見ることはないだろうと、引っ越しの忙しい最中に、作者が感傷的になっている気持ちはよくわかる。サラリーマンの宿命といえばそれまでだが、しかし、この宿命は人為的なそれであるがゆえに、どこかに「理不尽」の感覚がつきまとってしまう。妻帯者ならば、なおさらだろう。セコい話になるが、私は転勤を恐れて、全国にネットを張っている会社には初手から入ろうとしなかった。そして、その考えは正解だった。……のだが、はじめて入った東京にしかオフィスのない理想の会社が、あえなく潰れてしまったのだから、正解はすぐに誤解となった。やっと次に入った会社も倒産の憂き目を見たし、いまではもう、この句の作者をむしろ羨ましいとさえ思う心境も、半分くらいはあるのである。俳誌「百鳥」(1997年7月号)所載。(清水哲男)




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