妻と娘が、もう一人の娘の住むドイツ(ドレスデン)に出かけた。寿司でもとるか。




1998ソスN4ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0141998

 四月馬鹿傘さして魚買いに行く

                           有働 薫

イプリル・フールズ・デイ。この季題で詠むと、とかく馬鹿な行為を中心に置きがちだが、揚句はそんなこともなく、しかし、なんだかどこかでくすりと笑える。ちょいと切ない感じもある。平凡に生きることへの愛もある。この3月28日に東京は荻窪の大田黒公園(かつてのNHKラジオ番組「話の泉」でもお馴染みだった音楽評論家・大田黒元雄の豪邸跡)の茶室で開かれた「余白句会」での一句。ゲストで来てくれた岡田史乃さんがトップに推した作品だ。私は二位に選んだのだが、その後作者(詩人、俳号・みなと)と遠来の多田道太郎(俳号・道草)さんとのやりとりを聞いていたら、フランスでは「四月馬鹿」のことを「四月の魚(原語では複数)」というのだそうである。知らなかった。でも、なぜ「魚」なのだろう。物知りの八木幹夫(俳号・山羊)さんがすかさず「魚はキリストになぞらえられるから……」と推理してくれたが、正確なところはどうなのでしょうか。なお、当日の私の「馬鹿」な句は「馬鹿に陽気な薬屋にいて四月馬鹿」というものでした。お粗末。(清水哲男)


March 3131998

 かゝる代に生れた上に櫻かな

                           西原文虎

書に「大平楽」とある。こんなに良い世の中に生まれてきて、そのことだけでも幸せなのに、さらにその上に、桜の花まで楽しむことができるとは……。という、まさに大平楽の境地を詠んだ句で、なんともはや羨ましいかぎりである。花見はかくありたい。が、この平成の代に、はたしてこんな心境の人は存在しうるだろうか。などと、すぐにこんなふうな物言いをしてしまう私などは、文虎の時代に生きたとしても、たぶん大平楽にはなれなかっただろう。大平楽を真っ直ぐに表現できるのも、立派な気質であり才能である。作者の文虎は、父親との二代にわたる一茶の愛弟子として有名な人だ。まことに、よき師、よき弟子であったという。一茶は文虎の妻の死去に際して「織かけの縞目にかゝる初袷」と詠み、一茶の終焉に、文虎は「月花のぬしなき門の寒かな」の一句を手向けている。『一茶十哲句集』(1942)所収。(清水哲男)


March 3031998

 花こぶし汽笛はムンクの叫びかな

                           大木あまり

夷の花は、どことなく人を寄せつけないようなところがある。辛夷命名の由来は、赤子の拳の形に似ているからだそうだが、赤ん坊の可愛い拳というよりも、不機嫌な赤子のそれを感じてしまう。大味で、ぶっきらぼうなのだ。そんな辛夷の盛りの道で、作者は汽笛を聞いた。まるでムンクの「叫び」のように切羽詰まった汽笛の音だった。おだやかな春の日の一齣。だが、辛夷と汽笛の取り合わせで、あたりの様相は一変してしまっている。大原富枝が作者について書いた一文に、こうある。「人の才能の質とその表現は、本人にもいかんともしがたいものだということを想わずにはいられない。……」。この句などはその典型で、大木あまりとしては「そう感じたから、こう書いた」というのが正直なところであろう。本人がどうにもならない感受性については、萩原朔太郎の「われも桜の木の下に立ちてみたれども/わがこころはつめたくして/花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ」(「桜」部分)にも見られるように、どうにもならないのである。春爛漫。誰もが自分の感じるように花を見ているわけではない。『火のいろに』(1985)所収。(清水哲男)




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