April 121998
春たのしなせば片づく用ばかり
星野立子
窓を開けたほうが暖かく感じる。そんな日がつづくと、洗濯や掃除など、主婦の仕事は大いにはかどる。はかどることが、また次の用事を片づけることに拍車をかけてくれる。洗濯や掃除といっても、立子の時代には洗濯機や掃除機があるわけではなし、主婦は大変であった。とくに作者の場合は、主婦業の他に、俳人としての仕事もあったわけで、ついつい先伸ばしにしていた「用」も、いろいろとあったことだろう。しかし、億劫に思っていた「用」も、やりはじめてみれば何のことはない。簡単にすんでしまう。それもこれもが、この明るい季節のおかげである。こういうことは、主婦にかぎらず、もちろん誰にでも起きる。春はありがたい季節なのだ。地味な句だが、季節と人間の関係をよくとらえていて卓抜である。『続立子句集第二』(1947)所収(清水哲男)
April 111998
桜散る個々に無数に社員踊り
村井和一
いささかタイミングを失した花見の会。散りゆく桜の下で、作者は大いに酩酊しているのだろう。「無数」にいるわけもない仲間の社員たちが、次々に勝手に(「個々に」)踊る姿が「無数」に見えるのも、年に一度の花見ならではのイリュージョンである。この統一感のない今宵の宴を、作者は好もしいとも思い、他方ではサラリーマンとして生きていることの寂しさを噛みしめる場ともとらえている。明日からは、また整然たる秩序のなかで、みんな働くのだ。飲むほどに酔うほどに、落花は「無数」とおぼしきほどに激しく、次第に「個々の」寂寥感も募ってくるようだ。古人曰く、「散るさくら残るさくらも散るさくら」と……。サラリーマンの哀歓を詠んだ句は多いが、なかでも異色と言うにふさわしい作品である。(清水哲男)
April 101998
春宵や自治会の議事もめて居り
酒井信四郎
まだ子供が小さかった頃、地域の方々にドッジ・ボールや運動会やお祭りで三人の娘たちがお世話になった。女房に尻を叩かれ自治会のお手伝いをしぶしぶ引き受けたことがある。議事は延々深夜に及んだ。最後に長老が一言、「こりゃあ、明日の晩、もう一度やるべえ」。なんとも楽しげに一同が賛成する。お茶をなん杯も飲み、漬物をつまみながら。何でも早く事を済ますのがいいわけではなさそうだ。若造の私ごとき短慮ではついていけない。もう一句、「国訛りさざめく春の県人会」。新潟小千谷生まれの元郵便局長さん、当年とって九十歳。『有峰』所収。(八木幹夫)
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