April 151998
闇に鳥を放つ痛みや投函す
佐藤清美
いかにも若い女性らしい作品だ。二十代の句。投函したのはラブレターだろうか、それとも絶交の手紙だろうか。いずれにしても、推敲を重ねた文面ではないだろう。思いのタケを一気に書きつづったもので、だからこそ「闇に鳥を放つ」ような気分になっている。「闇に鳥を放つ」と、いったい鳥はどうするのだろうか。どうなるのだろうか。そんなことは、もちろん作者にはわからない。想像すること自体が、怖いことでもある。ましてや、この「鳥」を受け取る相手の反応などは、それこそ「闇」の中だ。作者の心の内には、そんな若さと荒々しい情念とが同居していて、この勢いにはかなわないなと思う。青春のひとつのかたちを力強く描いており、これからが楽しみな才能である。無季。『空の海』(1998)所収。(清水哲男)
August 312009
ひらがなの国に帰りて夕芒
佐藤清美
句集でこの句の前に置かれた「西安のビールは甘きひつじみず」などから推して、中国旅行から戻ったときの句だと思われる。私のささやかな海外旅行体験からすると、どこの国に出かけても言葉には難渋するが、いままでいちばんストレスを覚えたのは中国と韓国でだった。理由は単純。お互いなんとなく顔が似ているせいで、つい楽にコミュニケーションができそうに錯覚してしまうからである。ましてや中国は漢字の国だ。街の看板やイルミネーションなどでも、おおかた察しのつくものが多い。だから余計にコミュニケートしやすいと思いがちになる。ところが、どっこい。他の外国でと同じように、なかなか意思疎通ができないので、イライラばかりが募ってしまう。三十数年昔にギリシャに行ったことがあって、街のサインなど一文字も読めなくて苦労したけれど、しかしさほどストレスは覚えなかった。はじめから周囲の人々がまったくの異人種なので、言葉が通じなくても当たり前と早々に覚悟が決まってしまうからだろう。作者も漢字の国を旅行中に、おそらく相当のストレスを感じ続けていたのではあるまいか。そのストレスが「ひらがなの国」に戻ってほどけた安堵の心が、よくにじみ出ている。風にそよぐ「夕芒」のたおやかな風姿は、まさに「ひらがな」そのものなのである。『月磨きの少年』(2009)所収。(清水哲男)
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