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April 1741998

 この部屋に何用だつけ春の昼

                           渡辺善夫

しもが心当りのある体験だろう。老化現象ではないかという人もいるが、どうであろうか。だとすれば、私には小学生の頃から、よくこういうことが起きたので、物忘れに関しては天才的に早熟だった(笑)ことになる。何をしにこの部屋に来たのか。忘れてしまったときの対策は、私の場合、ひとつしかない。もう一度、元いた場所に戻ってみることである。双六の振り出しに戻るようにしてみると、たいがい思いだすことができる。最近は、それでも思いだせないときもままあるが、この場合はやはり老化現象かもしれない。でも、何かを忘れてしまうことも、たまには必要だ。というよりも、人間は常に何かを忘れつづけていないと生きていけない動物ではあるまいか。誰が言ったのか、それこそ忘れたけれど、ニワトリは三歩歩くと何もかも忘れてしまうのだそうだ。時々、ニワトリになりたくなる。「俳句文芸」(1998年4月号)所載。(清水哲男)


January 1312003

 筆始浮き立つ半紙撫で押へ

                           渡辺善夫

語は「筆始(ふではじめ・書初)」で新年。あっと思った。この感触、この手触り。思い出したのだ。そうだった。中学時代までは書初の宿題があり、正月休みには必ず書いたものだった。半紙を広げて緑色の下敷きの上に置くときに、ふわっと浮き上がるので、掲句の通りに「撫で押へ」てから書いた。小さい半紙ならば、上部を文鎮(ぶんちん)で押さえてやれば、すぐに下敷きに密着したが、大きいものになると、そうはいかない。あちこち「撫で押へ」ても、なかなか静まってくれなかったつけ。もう半世紀も前のことを、掲句のおかげで、かなりはっきりと思い出すことになった。中学二年のときは、天井近くから吊るすほどの大きな書初を書かされたので、とくにあのときのことを。何という文字を書いたのかは覚えていないけれど、そのときの部屋の様子だとか、まだ元気だった祖父や祖母のことなどが次々に思い出されて、いささかセンチメンタルな気分に浸ってしまった。半紙は非常な貴重品だったので、練習には新聞紙を何枚も使ったものだ。したがって、本番になるといやが上にも緊張の極となる。失敗は許されないから、慎重に何度も「撫で押へ」て、……。で、書き終えて、乾かしてからくるくると墨で凹凸のできた半紙を巻くときの感触までをも思い出したのだった。あんなに真剣に文字を書いたことは、以来、一度もない。地味ながら、書初の所作のディテールをしっかり捉えていて、良い句だと思う。「浮き立つ」の措辞も、正月気分にぴったりだ。『明日は土曜日』(2002)所収。(清水哲男)


July 1172003

 盆踊ピッチャーマウンドに櫓建て

                           渡辺善夫

盆踊り大会■ボーイスカウト三鷹2団主催。7月12日(土)午後5時〜7時30分、ナザレ修女会境内広場(井の頭公園西口そば、玉川上水沿い)で。流しそうめん、焼き鳥などの出店も。▼当日、直接会場へ。」(三鷹市広報HP)。……いきなりローカルな告知で申しわけなし。東京のお盆は陽暦で行われるので、こうした告知が今あちこちでなされている。13日(日)が迎え火だけれど、土曜日の夜のほうが人が集まりやすいので、明日が盆踊りのピークになるのだろう。もう、そんな季節を迎えたのだ。掲句の作者は大阪は吹田市在住なので、「盆踊」は陰暦のそれとして詠まれていると思うが、中身は陰暦でも陽暦でも同じことだ。「ピッチャーマウンド」とはあるが、ちゃんとした野球場ではないと思う。そんなところを下駄で踏み荒らされたら、後の整備が大変だ。おそらく、学校の運動場ではあるまいか。たいてい、こんもりと土を盛ってマウンドが作ってある。そのマウンドを中心にして、盆踊りのための「櫓(やぐら)」が「建て」られた。句は、ただそう言っているだけなのだが、読む人によってはほほ笑ましく思う人もいるだろうし、しかし、そうではない人もいるはずだ。私などは後者で、読んだ途端に「痛っ」と感じた。べつにグラウンドを神聖視しているつもりもないけれど、なんだか無関係な人に勝手に踏み荒らされるのかと思うと、イヤな感じがしてくるからだ。だから逆に、たまさか学校の運動場を通ることがあっても、なるべくイン・フィールドは避けて歩くことにしている。さて、作者の作句意図はいずれにありや。読者諸兄姉は如何に解するや。『明日は土曜日』(2002)所収。(清水哲男)




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