子供の頃のことを流行歌を発条にして書くことにした。「私」ブームの仇花かも。




1998ソスN4ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2741998

 武者幟雨空墨をながすなり

                           中村秋晴

風に泳ぐ鯉幟は華麗で美しいが、このように雨空の下の幟(のぼり)も面白い。一天にわかにかきくもってきて、あたかも墨をながしたような空模様。そこで、鯉幟も作者も「来るなら来てみろ」という気構えになったというところか。黒バックの鯉幟には、どこか生々しい息づかいのようなものが感じられる。ここで、おさらいの意味も込めて「幟」の定義。「本来は五月人形に添える定紋付の幟のことをいい、鍾馗(しょうき)の絵などを描いた。これは内幟といって武者人形の傍に立てられている。俳句で一般に詠まれているのは外幟すなわち戸外に立てる幟で、古くは戦場に見られた旗指物様の幟を戸外に立てたらしいが、今はそうした幟は少なくなり、ほとんど鯉幟となっている」(新潮文庫・新改訂版『俳諧歳時記』1968)。子供だったころの我が家には、祖父が贈ってくれた武者人形はあったけれど、ついに鯉幟とは無縁のままできてしまった。(清水哲男)


April 2641998

 たけのこよぼくもギブスがとれるんだ

                           畑上洋平

の子がバサリバサリと皮を脱ぐ。ぼくも、そんなふうにギブスが取れることになったぞ……。単純にして明解。薫風のように気持ちのよい句だ。作者は、おそらく中学生くらいの年頃だろう。詳しいことは、一切わからない。この句は「味の味」(株式会社・アイデア)という食べ物関係のPR誌(最新の5月号)に載っていた。以前にも書いたが、この雑誌には毎号食材を読み込んだ俳句が何句か掲載されていて、とくに選句が抜群に巧みであり、それこそ「味」がある。よほど俳句を読んできた人の選句だと思うが、その見事さにはいつも舌を巻いてしまう。各地の有名レストラン、北海道では「サッポロビール園」にも置いてあるそうだから、目にとまったら、ぜひ俳句を読んでみてください。ところで、筍といえば、若くて柔らかいうちに梅干しと一緒に漬けると美味だ。筍の漬物である。昔、母が漬けてくれて以後、食べる機会がないのが残念だが、ということは、あれは食料難時代の母の苦肉のオリジナル作品だったのかもしれない。(清水哲男)

[日南市の河野秀樹さんよりメール]朝日新聞社 新編折々のうた第五 大岡信 94年11月1日第一刷78ページ『地球歳時記90』平成3年所収。「上記の本は日本航空が世界の子供たちに自国語でハイクを作るよう呼びかけ、十九言語による応募作六万の中から、特選および入選作を選んで編んだ作品集。日本の子らは五七五だが、(中略)これは長野県の小学二年生畑上君、七歳。ギプスも竹の子の皮も、とれて爽快」。


April 2541998

 眼帯の朝一眼の濃山吹

                           桂 信子

く自然に両眼で見ているときよりも、眼帯をして見るときのほうが、物の輪郭などがはっきりと見える。色彩も濃く見える。そんな気がするだけなのかもしれないが、片目の不自由な分だけ、凝視する気持ちが強いからである。作者の見ている山吹も、昨日と同じ色をしているはずなのだけれど、眼帯をした今朝は、とくに色濃く感じられている。そして作者は、色鮮やかに見える山吹の花に託して、一眼にせよ、とにかく見ることのできている自分を、まずは喜んでいるのだろう。月並みな言い方だが、健康のありがたさは、失ってみてはじめてわかるものである。ところで、私は山吹が子供のころから好きだった。田舎にいたので、そこらへんにたくさん自生していた。いまの東京では、なかなか見られないのが寂しい。いまの私が日常的に見られるのは、吉祥寺通りにある井の頭自然文化園の垣根の外に植えられたものだけだ。山吹鉄砲などとても作れないような貧弱さではあるが、毎年、ちゃんと咲いてはくれている。注意していれば、バスの窓からもちらりと見える。『晩春』(1955-1967)所収。(清水哲男)




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