鮫の煮付け。珍しくはないのでしょうが、昨夜食べました。脂濃いという印象…。




1998ソスN4ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2941998

 やまざくら一樹を涛とする入江

                           安東次男

っそりとした入江に、一本の山桜の姿が写っている。あまりにも静かな水面なので、涛(なみ)がないようにも見えるのだが、山桜の影の揺れている様子から、やはり小さな涛があると知れるのである。いかにもこの人らしい、いわば完璧な名調子。文句のつけようもないほどに美しい句だ。すでにして古典の趣きすら感じられる。「俳諧」というよりも「俳芸」の冴えというべきか。そこへいくと同じ山桜でも、阿波野青畝に「山又山山桜又山桜」というにぎやかな句があり、こちらはもう「俳諧」のノリというしかない世界である。次男の静謐を取るか、青畝の饒舌を取るか。好みの問題ではあろうけれど、なかなかの難題だ。ここはひとつ、くだんの山桜自身に解いてもらいたいものである。『花筧』(1991)所収。(清水哲男)


April 2841998

 蛇穴を出て今年はや轢かれたり

                           竹中 宏

眠から覚めた蛇が穴から出てきた。が、すぐに、あっけなくも車に轢かれてしまった。なんというはかない生命だろう。突き放したような詠み方だけに、余計にはかなさがクローズアップされている。最近の東京では、青大将が出ただけで写真つきの新聞記事になる。それほどに珍しいわけだが、作者は京都の人だから、おそらくは実見だろう。作者について付言しておけば、高校時代から草田男の「萬緑」で活躍し、私とはしばらく「京大俳句会」で一緒だったことがある。当時、草田男に会う機会があり、「これからは君たちのような若い人にがんばってもらわなくては……」と激励された。二人とも詰襟姿で、雲上人に会ったようにガチガチに緊張したことを思い出す。直後、私は俳句をやめてしまったが、彼はその後も研鑽を積み、現在は俳誌「翔臨」を拠点に旺盛な作句活動を展開している。「翔臨」(1998・31号)所載。(清水哲男)


April 2741998

 武者幟雨空墨をながすなり

                           中村秋晴

風に泳ぐ鯉幟は華麗で美しいが、このように雨空の下の幟(のぼり)も面白い。一天にわかにかきくもってきて、あたかも墨をながしたような空模様。そこで、鯉幟も作者も「来るなら来てみろ」という気構えになったというところか。黒バックの鯉幟には、どこか生々しい息づかいのようなものが感じられる。ここで、おさらいの意味も込めて「幟」の定義。「本来は五月人形に添える定紋付の幟のことをいい、鍾馗(しょうき)の絵などを描いた。これは内幟といって武者人形の傍に立てられている。俳句で一般に詠まれているのは外幟すなわち戸外に立てる幟で、古くは戦場に見られた旗指物様の幟を戸外に立てたらしいが、今はそうした幟は少なくなり、ほとんど鯉幟となっている」(新潮文庫・新改訂版『俳諧歳時記』1968)。子供だったころの我が家には、祖父が贈ってくれた武者人形はあったけれど、ついに鯉幟とは無縁のままできてしまった。(清水哲男)




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