ゴールデン・ウイークとは、考えてみれば凄いネーミングですね。名付け親は誰?




1998ソスN4ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 3041998

 迂回せぬ蟻天才と思ひけり

                           吉岡翠生

供の頃は、退屈しのぎによく蟻たちの様子を見て過ごした。ついでに、蟻塚に水をぶっかけるという非道なこともした。おおかたは集団で整然と行動する蟻だが、たまに単独行動をするヤツもいた。そんな蟻のことを、私はいまで言う「落ちこぼれ」だと思っていたが、作者は違う。「天才」と直感している。同じ決めつけにせよ、この見方のほうが、よほどいい。暖かい。とかく暗い方向へと傾きがちな私の感覚からすると、まことに羨ましい感性の持ち主と写る。よほど蟻が好きな人なのだろうか、同じ作者にこんな句もある。「追ふてゐるつもりの蟻が追はれをり」。ところで、最近はかがみこんで蟻を見ている子供など、ほとんどいなくなってしまった。たまに見かけると、この子はそれこそ「天才」かなと思ったりしてしまう。なお、季題としての「蟻」は夏に属する。念の為。「俳句文芸」(1997年7月号)所載。(清水哲男)


April 2941998

 やまざくら一樹を涛とする入江

                           安東次男

っそりとした入江に、一本の山桜の姿が写っている。あまりにも静かな水面なので、涛(なみ)がないようにも見えるのだが、山桜の影の揺れている様子から、やはり小さな涛があると知れるのである。いかにもこの人らしい、いわば完璧な名調子。文句のつけようもないほどに美しい句だ。すでにして古典の趣きすら感じられる。「俳諧」というよりも「俳芸」の冴えというべきか。そこへいくと同じ山桜でも、阿波野青畝に「山又山山桜又山桜」というにぎやかな句があり、こちらはもう「俳諧」のノリというしかない世界である。次男の静謐を取るか、青畝の饒舌を取るか。好みの問題ではあろうけれど、なかなかの難題だ。ここはひとつ、くだんの山桜自身に解いてもらいたいものである。『花筧』(1991)所収。(清水哲男)


April 2841998

 蛇穴を出て今年はや轢かれたり

                           竹中 宏

眠から覚めた蛇が穴から出てきた。が、すぐに、あっけなくも車に轢かれてしまった。なんというはかない生命だろう。突き放したような詠み方だけに、余計にはかなさがクローズアップされている。最近の東京では、青大将が出ただけで写真つきの新聞記事になる。それほどに珍しいわけだが、作者は京都の人だから、おそらくは実見だろう。作者について付言しておけば、高校時代から草田男の「萬緑」で活躍し、私とはしばらく「京大俳句会」で一緒だったことがある。当時、草田男に会う機会があり、「これからは君たちのような若い人にがんばってもらわなくては……」と激励された。二人とも詰襟姿で、雲上人に会ったようにガチガチに緊張したことを思い出す。直後、私は俳句をやめてしまったが、彼はその後も研鑽を積み、現在は俳誌「翔臨」を拠点に旺盛な作句活動を展開している。「翔臨」(1998・31号)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます