前田陽一さん没。野球映画を撮ってほしかったのに。悲しいなあ、人は死ぬのだ。




1998蟷エ5譛5譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

May 0551998

 草笛や子らの背丈をさだかには

                           山田みづえ

笛は高音を得意とするので、遠くからの音もよく聞こえてくる。島崎藤村の詩を引き合いに出すまでもなく、哀調を帯びた音色だ。わけあって子供たちと別れた作者は、どこからかかすかに聞こえてくる草笛の音に、幼子たちとの日々を思い出している……。が、悲しいことに、子供らの背丈をもはや知ることは適わない宿命を嘆いている。母親としての胸のつまる想いが、遠くの草笛によって誘いだされている。同じ作者に「こどもの日は悲母の一日や家を出でず」があるので、よけいにこの草笛の音色は身にしみてくる。ところで、最近では草笛を吹く人も少なくなったが、この季節の公園などに行くと、たまに吹いている年寄りがいたりする。たいていの人が得意げに吹き鳴らしているので、私は嫌いだ。吹き方ひとつで、「どんなもんだい」という心根のいやしさがわかってしまう。「アホか」と、私は聞こえなくなる風上の遠いところまで歩いていく。『忘』(1966)所収。(清水哲男)


May 0451998

 追憶のぜひもなきわれ春の鳥

                           太宰 治

るい鳥の囀りが聞こえるなかで、過去をふりかえっているのは『人間失格』などの作家・太宰治だ。しかし、よい思い出などひとつもなく、その虚しさに嘆息している。自嘲している。明暗のこのような対比が、太宰文学のひとつの特長だ。太宰の俳句は珍しいが、当人に言わせると「そのとしの夏に移転した。神田・同朋町。さらに晩秋には、神田・和泉町。その翌年の早春に、淀橋・柏木。なんの語るべき事も無い。朱麟堂と号して俳句に凝つたりしてゐた。老人である」(『東京八景』1941)ということで、大いに俳句に力を注いでいた時代があったようだ。小説家として有名になってからは、トリマキと一緒にしばしば句会を開いていたという記録もある。それにしては残されている句が少ないのは、俳人としての力量が一流に及ばないことを自覚して、みずから句稿を破棄してしまったからであろう。この句も、太宰の名前がなければ、さしたる価値はない。今年は、太宰歿して五十年。著作権が切れることもあり、太宰本があちこちから出る模様。『太宰治全集』(筑摩書房)他に所収。(清水哲男)


May 0351998

 青葉がちに見ゆる小村の幟かな

                           夏目漱石

葉の山道にあって、作者は遠くにある小さな村を眺めている。青葉のかげから風にはためく幟も見えて、気分爽快だ。一目瞭然の句。……と言いたいところなのだが、実は私たち現代人にとっては厄介至極な句なのである。厄介なのは、この「幟」の正体がわからないことだ。私たちは単純に「鯉幟」と読んで、青葉とのコントラストを思い浮かべてしまうが、漱石がこの句を詠んだ明治期では「幟」は「鯉幟」とは限らなかった。東京あたりでは、子規が「定紋を染め鐘馗を画きたる幟は吾等のかすかなる記憶に残りて、今は最も俗なる鯉幟のみ風の空に翻りぬ」と嘆いたように「鯉幟」が風靡していたようだが、さあ句のような山間の小村となると、どちらだかわからない。たとえ今この句の舞台である小村がわかったとしても、幟の姿は永遠にわからないわけだ。が、とりあえず、明治以前の俳句や文物での「幟」を単純に「鯉幟」とイメージしないほうがよさそうである。『漱石俳句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)




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