May 111998
高根より礫うち見ん夏の海
池西言水
言水(ごんすい)は江戸期の人。前書に「比叡にて」とあるから、この海は琵琶湖である。陽光にキラキラと輝く湖面が目に見えるようだ。石を投げても届くわけはないのだが、人は高いところに登ると、どういうわけか何か投げたくなる。子供っぽいといえば子供っぽいけれど、自然のなかで解放された気分とよくマッチしている。もっとも、今では危険なので、かなりの山奥でもこんな稚気も発揮できなくなった。私が子供だったころは、遠足で山に登ると、必ず礫(つぶて)の打ち合いっこになった。遠投競争だ。憧れのプロ野球投手の投球フォームを真似て、飽きもせずに放りつづけたものである。そして、川や湖に出れば石での「水切り」。西鉄・武末投手のサブマリン投法で投げるのだ。ところで、この元禄の俳人は、このときどんなフォームで石を投げたのだろうか。句の中身とは無関係だが、私としてはとても気になってしまうのである。『前後園』(元禄二年・1689)所収。(清水哲男)
December 311999
大年の富士見てくらす隠居かな
池西言水
大年の発音は「おおとし」または「おおどし」とも。我らが「余白句会」のメンバーである多田道太郎さんの新著『新選俳句歳時記』(潮出版社)でのコメントを引いておく。「江戸時代のご隠居さまはゆったり、のんびりしていたんやな。師走ということで先生まで走らせる世の中になってから、老人も走りださないといかんような気分。『大年(「おおみそか」のルビあり・清水注)』の夜はとりわけ足もとにご注意を。富士山に見とれてばかりいる訳には参りません」。多田さん独特の語り口は、いつも魅力的だ。ただ、句での「大年」は「見てくらす」というのだから、大晦日というよりも、師走月の意だろう。江戸期の人が隠居生活に入ったのは、多くが四十歳代だった。いまでは信じられないような若さだが、人生五十年時代とあっては、四十代はもはや晩年だったのである。当時の結婚年齢も早くて、二十歳になっても結婚しない女性には「二十歳婆あ」という陰口もきかれたほどという。いまどきの「おばさん」呼ばわりよりも痛烈だ。とにかく、世の中は変わってしまった。除夜の鐘ですら、百八つとは限らなくなっている。ま、現代人の煩悩の数がそれだけ増えてきたと思えば腹も立たないが、いっそのこと、今夜は景気よく2000回も打ち鳴らしちゃったらどうだろうか。やりかね(鐘)ない寺も、ありそうだけれど……。では、よいお年をお迎えくださいますように。せめて、富士山の夢でも見ることにしましょうか。(清水哲男)
March 252001
浮き世とや逃げ水に乗る霊柩車
原子公平
季語は「逃げ水」で、春。路上などで、遠くにあるように見える水に近づくと、また遠ざかって見える現象。一説に、武蔵野名物という。友人知己の葬儀での場面か、偶然に道で出会った霊柩車か、それは問わない。「逃げ水」の上に、ぼおっと浮いたように霊柩車が揺れて去っていく。そこをつかまえて「浮き世とや」と仕留めたところには諧謔味もあるが、人間のはかなさをも照らし出していて、淋しくもある。霊柩車はむろん現世のものだが、こうして見ると彼岸のもののようにも見える。まさにいま、この世が浮いているように。死んでもなお、しばらくは「浮き世」離れできないのが人間というものか。句集の後書きを読んだら、きっぱりと「最後の句集」だと書いてあった。また「『美しく、正しく、面白く』が私の作句のモットーなのである」とも……。宝塚歌劇のモットーである「清く、正しく、美しく」(天津乙女に同名の著書がある)みたいだが、揚句はモットーどおりに、見事に成立している。この句自体の姿が、実に「美しく、正しく、面白」い。いちばん美しく面白いのは、句の中身が「正しい」ところにある。「正しさ」をもってまわったり、ひねくりまわしたりせずに、「正しく」一撃のもとにすぱりと言い止めるのが、俳句作法の要諦だろう。言うは易しだが、これがなかなかできない。ついうかうかと「浮き世」の水に流されてしまう。「正しさ」を逃がしてしまう。話は変わるが、句の「逃げ水」で思い出した。「忘れ水」という言葉がある。たとえば池西言水に「菜の花や淀も桂も忘れ水」とあるように、川辺の草などが生い茂って下を流れる川の水が見えなくなることを指す。日本語の「美しく、正しく、面白く」の一端を示す言葉だ。『夢明り』(2001)所収。(清水哲男)
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