北上から花巻へ。一泊とはいえども、旅は旅。慣れないので、やはり緊張している。




1998蟷エ5譛24譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

May 2451998

 午後からは頭が悪く芥子の花

                           星野立子

い日の午後、誰しもがいささかボーッとなってしまう状態を、「頭が悪く」と表現したところが面白い。このとき、作者に見えている芥子(けし)の花は何色だったろうか。辟易するような暑気と釣り合うということになれば、やはり赤い大輪だろう。花それ自身も、なんだかボーッとしているように見えるからだ。句が作られたのは、戦後間もなくの時期らしい。あの頃は、そこらへんに芥子が咲いていたものだ。美空ひばりの「私は街の子」にも、芥子は東京あたりでも平凡に「いつもの道に」咲いているように歌われている。ところが、この植物は阿片の原料になることから、現在では栽培が禁止されており、めったに見られなくなってしまった。私が頼りにしている花のカタログ集・長岡求監修『野の花・街の花』(講談社・1997)にも載っていないという情けなさ。「どう咲きゃいいのよ、この私……」と歌ったのは、やはり芥子の花が出てくる「夢は夜ひらく」の藤圭子であったが、いまでは日本のどこかで、きっと芥子のほうこそが「どう咲きゃいいのよ」と見悶えしていることだろう。『続立子句集・第二』(1947)所収。(清水哲男)


May 2351998

 麦の秋朝のパン昼の飯焦し

                           鷹羽狩行

だちゃんとしたトースターも、ましてや電気炊飯器もなかった時代。パンを焦したり飯を焦したりしているのは、新婚後間もない妻である。そんな新妻の失敗を仕様がないなと苦笑しながらも、作者はもちろん新妻を可愛く思っているのだ。おそらく窓外に目をやれば、黄色に熟した麦畑が気持ち良くひろがっていたのであろう。初夏の爽快な季節感も手伝って、結婚した作者の気持ちは浮き立っている。新婚の女性の気持ちはいざ知らず、結婚したてのたいがいの男は、このように妻の失敗を喜んで許している。そこが実は、その後の結婚生活のそれこそ失敗の元になるのだ……などと、余計なことを言い立てるのは愚の骨頂というものであって、ここはひとつ静かに微笑しておくことにしたい。ところで、立派なトースターや炊飯器の備わっている現代の新妻には、どんな失敗があるのだろうか。……と、すぐにまた野暮なことを言いかける我が野暮な性分。『誕生』(1965)所収。(清水哲男)


May 2251998

 初松魚燈が入りて胸しづまりぬ

                           草間時彦

会の人が初松魚(はつがつお)に出会うのは、たいていが小料理屋か酒場だろう。この季節、どこの店に寄っても、天下を取ったように「初松魚(初鰹)」の文字が品書きに踊っている。私などもその一人だが、さしたる好物でもないのに、つい注文してしまったりする客は多い。初物の魔力だ。ところで、作者は顔馴染みか常連のよしみで、開店前の酒場に入れてもらったのである。鰹が入ったという店主のすすめに注文したまではよかったが、まだ入口に燈の入っていない店内というものは、どうも落ち着かない。このあたり、酒飲みの人にはよくわかるだろうが、いつもとは違う肴を前にすればなおさらに落ち着かない気分である。そうこうするうちに、やっと表に燈が点った。やれやれ、という心持ちの句。間もなくだんだんと、見知った顔も入ってくるだろう。そして、みんなが「初松魚」に一瞬顔を輝かせるだろう。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます