インドにつづいてパキスタン。当然の流れとして、世界の耳目は北朝鮮に集中する。




1998蟷エ5譛29譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

May 2951998

 紙魚ならば棲みても見たき一書あり

                           能村登四郎

環境の変化のせいだろうか。最近は、めったに紙魚(しみ)を見かけることもなくなった。住環境の変化ばかりではなく、もっと大きな自然の働きによるものかもしれない。なにしろ人間サマの精子が激減しているというご時世だから、紙魚などの下等な虫が生きていくのは、さぞや大変なことなのだろう。じめじめとした暗いところを好み、本であれ衣服であれ、澱粉質のものにならば何にでも食らいつく(衣服についたほうの虫は「衣魚」)。仮に自分がそんな虫だったら、ぜひとも住んでみたい本があるという句だ。このとき、作者は78歳。それはどんな書物なのだろうか……。と、句の読者は必ず好奇心を抱くにちがいない。同時に、自分にもそんな本があるだろうか、あるとすれば、誰が書いた何という本なのか……と、自分自身に問いかけるはずである。もちろん私も考えたが、紙魚にまでなって住みつきたいと思う本はなかった。あなたの場合は、いかがでしょうか。『長嘯』所収。(清水哲男)


May 2851998

 目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹

                           寺山修司

節は五月。紺碧の空高く、一羽の鷹が悠々と旋回している。見上げていると、雄々しい鷹の気概が地上の矮小な心の持ち主を叱咤し、律しているように感じられる。そのあまりにも雄渾な鷹の姿が目に焼きついて離れず、床についたいまも自分を支配しつづけてやまない……。「統ぶ」は「すぶ」。句意はこのようなものだろうが、作者十代の作品というから驚く。描きたい世界を描いて、過不足なく完璧である。一般に鷹は冬鳥とされ種類も多いから、五月に舞う鷹といっても、具体的なイメージは湧いてこない。おそらくは作者も、具体的な鷹を指し示したつもりはなかっただろう。「鷹」という言葉から連想される普通の映像であればよく、現実的に鷹が飛んでいたというよりも、寺山修司という個性が理想的な鷹を創造して、大好きだった五月の空に飛翔させたのである。『われに五月を』(1957)所収。(清水哲男)


May 2751998

 シャボン玉吹く東京の風にのせ

                           小山 遥

者(女性)は高松市在住。履歴を見ると、生まれも育ちも高松だ。高松と聞くと、いつも私は故人となった詩友の佃学を思い出してしまう。彼は高松の田舎性を慨嘆しつつも、結局は愛して止まなかった。それはともかく、この句は高松から上京した際の寸感だろう。シャボン玉での遊び相手はお孫さんだろうか。ひさしぶりの邂逅を楽しんでいる場面だが、ここで作者が相手の存在をふっと瞬間的に忘失しているところに、句の輝きが読み取れる。東京という他郷の風にのせて、シャボン玉を吹いている自分という存在の不思議に、作者の気持ちが溶けこんでいる。旅先での句は世間に数えきれないほど多いが、他郷での発見を欲張りすぎる傾向があり、その点、この句は欲張っていない分だけ、逆に心象がよく伝わってくる。私のような東京人にも、あらためて「東京の風」を新鮮に思い起こさせてくれた佳句である。『ひばり東風』(1998)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます