May 3051998

 麥爛熟太陽は火の一輪車

                           加藤かけい

読、ゴッホの絵を連想した。ここにあるのはゴッホの太陽と、ゴッホ的な気質である。爛熟した麥の穂波にむせ返るような情景が、ぴしりと捉えられている。実際の麦畑に立った者でなければ、このような押さえ方はできない。「麦の秋」などと、多くの俳人は遠目の麦畑を詠んできた。作者については長谷部文孝氏の労作『山椒魚の謎』(環礁俳句会・1997)に詳しいが、同書によれば、この句には西東三鬼門の鈴木六林男から早速イチャモンがついた。「モチーフを明確に表出したとき、このようなことになる。俳句はこゝからはじまり、これは俳句ではない。感覚から表現へのプロセス作業を途中でナマけた天罰である」(「天狼」1963年11月号)。こんなふうに言われたら、私などは再起不能になりそうな酷評だが、私はこのときの六林男には与しない。簡明直截にして、しかも抽象化された世界。とても「感覚から表現へのプロセス作業を途中でナマけた」結果とは思えないからである。『甕』(1970)所収。(清水哲男)


April 1042004

 クローバ咲き泉光りて十九世紀

                           加藤かけい

語は「クローバ」で春。「苜蓿(うまごやし・もくしゅく)」に分類。正確に言うとクローバと苜蓿は別種であり、前者は「白つめくさ」のことだが、俳句ではこれらを混同して使ってきている。作者は1900年生まれ(1983年没)だから、20世紀の俳人だ。すなわち掲句は、前世紀である「十九世紀」に思いを馳せた句ということになる。世紀を詠み込んだ句は珍しいと言えようが、クローバの咲く野の泉辺に立ったとき、作者の思いはごく自然に、おそらくはヨーロッパ絵画に描かれた野の風景に飛んだのではなかろうか。苜蓿は南ヨーロッパ原産だそうだが、そういうことは知らなくても、いちばん似合いそうなのはヨーロッパの田舎だろう。それも二十世紀でもなく十八世紀以前でもなくて、やはり十九世紀でなければならない。暗黒面だけを探れば、十九世紀のヨーロッパは戦争や殺戮の連続であり、決して句のように明るい時代ではなかった。が、一方では絵画などの芸術が花開いた世紀でもあって、それらの伝える野の風景は多く明るさを湛えていたのだった。暮らしは低くとも思いは高くとでも言おうか、そんなエネルギーに近代日本の芸術文化も多大な影響を受け、今日にいたるも私たちの感性の一部として働いている。二十世紀という世界的にギスギスした社会のなかで、そんなヨーロッパに憧れるのは、もはや戻ってこない青春を哀惜するのに似て、この句は手放しに明るい句柄ながら、底に流れている一抹の悲哀感に気づかされるのだ。ひるがえって、将来「二十世紀」が詠まれることがあるとすれば、どんな句になるのだろうか。少なくとも、明るい世界ではないだろうな。そんなことも思った。『俳句歳時記・春の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


March 0232006

 卒業歌なればたちどまりきゝにけり

                           加藤かけい

語は「卒業」で春。私の場合は、中学卒業が最も想い出に残っている。卒業式での涙が、いちばん多かった。というのも、私が卒業した(1953年)学校では、高校に進学する同級生は四人か五人に一人くらいと少なく、あとは就職するか家事手伝いとして社会に出たからだ。とくに、女の子の進学率は低かった。つまり互いの進路がばらばらだったので、それこそ卒業歌の「仰げば尊し」の「いざ、さらば」の感懐は一入だったのである。卒業式の日に、私は学校にハーモニカを持っていった。式が終わった後の謝恩会で、何か一曲吹くためだったと思う。その謝恩会が終わった後も、みんなまだまだ校舎を去り難く、教室や校庭のあちこちで仲良し同士の輪ができているなか、私はひとりハーモニカを吹いて別れを惜しんでいた。と、突然つかつかと女の子が近づいてきて言った。「止めてよ、そんなの。悲しくなるばっかりじゃないの」。ただならぬ剣幕に圧倒されて、何も言い返せず、すごすごとハーモニカを引っ込めたことを覚えている。でも、往時茫々。もはや、その女の子の面影すらも忘れてしまった。あれは、いったい誰だったのか。掲句は、たまたま学校の傍を通りかかったときの句だろう。べつに母校でもなければ、身内の関係する学校でもない。しかし、聞こえてきた卒業歌にひとりでに足が止まり、しばし聞き入っている。聞いているうちに思い出されるのは,やはり自分の卒業したころのいろいろなことであり、友人たちの誰かれのことである。現在の卒業歌は学校によってさまざまに異なるが、昔は全国どこでも「仰げば尊し」に決まっていた。だから、たとえ縁もゆかりもない学校から聞こえてくる卒業歌でも、掲句のように、我がことに重ねられたというわけだ。『俳句歳時記・春の部』(1955・角川文庫)所収。(清水哲男)


May 2952011

 わが死にしのちも夕焼くる坂と榎

                           加藤かけい

語は夕焼け。夕焼くるは「ゆやくる」と読みます。人の一生というのは、言うまでもなくその人にとっての「すべて」です。ところが、その「すべて」の外にも、なぜか依然として時は流れ、夕焼けはやってくるのです。自分の終わりが、この世の成り立ちにとって、それほどの出来事ではないのだと気づいてしまうと、ちょっとがっかりします。でも、なんだか気が楽にもなってきます。なにかの一部でしかないということの気楽さをもって、それでも日々に立ち向かってゆく人の命は、なんだか健気にも見えてきます。果てしない空を染める真っ赤な夕焼けは、たしかに坂道や木に似合っています、それでも、字余りになっても榎をここに置いたのは、高い空にすっきりと立つ姿を示したかったからなのでしょうか。あるいは作者の人生の、大切な道しるべにでもなっていたのでしょうか。『合本 俳句歳時記 夏』(2004・角川書店)所載。(松下育男)




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