1998N6句

June 0161998

 看護婦にころがされつゝ更衣

                           小山耕一路

来が無精者だから、意識して更衣(ころもがえ)などはしたことがない。東京あたりでは、今日から子供たちの制服がかわって、そんな様子を眺めるのはとても好きだ。勝手なものである。ところで、入院患者にも衣更があるとは、この句を読むまでは知らなかった。想像の外であった。あまり身体の自由が利かない患者は、みなこのようにころがされて夏用の衣服に着がえるのだろう。笑っては申し訳ないが、つい、クスクスとなってしまった。看護婦も大変なら、患者も大変だ。やがて夏物にあらたまったときに、作者はとてもいい気持ちになっただろう。昔から衣更には佳句が多い。なかでも蕪村の「御手打の夫婦なりしを更衣」は有名だが、私は採らない。フィクションかもしれないけれど、あまりに芝居がかっていて陰惨だからである。(清水哲男)


June 0261998

 ふるさとはよし夕月と鮎の香と

                           桂 信子

さしぶりの故郷での、それもささやかな宴の席での発句だろう。たそがれどき、懐しい顔がそろった。それだけでも嬉しいのに、ふるさと名物の新鮮な鮎が食膳にのぼり、ようやく暗くなりはじめた空には、見事な夕月までがかかっている。文句無しの鮮やかな故郷賛歌だ。ちなみに、作者は大阪生まれである。関西には「はんなり」という色彩表現があって、私には微細な感覚までは到底わからないのだが、この夕景はなんとなく「はんなり」しているように思われる。京都在住の詩人の天野忠さんも、好んで使われた言葉だった。ところで、この句はこれでよしとして、私も含めた読者がそれぞれの郷里をうたうとすれば、どのようなことになるのだろうか。わが故郷には、残念ながら、食膳に乗せて故郷を表現できるこれといった物はなさそうだ。『月光抄』(1938-1948)所収。(清水哲男)


June 0361998

 おとり鮎息はずむなる休ませる

                           瀧井孝作

慢じゃないが、鮎釣りの経験はない。気分が良さそうだなとは思っているが、チャンスに恵まれずに来てしまった。したがって、友釣りの何たるかも知らない。私と同じように友釣りを知らない読者のために、作者自身による解説を書きとめておく。「鮎は、きれいな水の中の石に生える美しい水垢をたべて育つので、鮎は、その食糧のある場所を、常に守つて見張つてゐて、他の鮎がその場所に近づくと、体当りでブツかつて、追ひはらふ習性があります。友釣は、この習性を利用して、一尾の鮎を囮に使つて、釣るのです」。そして、この囮の鮎には釣針のついた釣糸が結びつけられているのだから、体当たりした鮎が釣針に引っ掛かる仕掛けだ。引っ掛かる鮎も哀れだが、囮役も大変だ。引き上げてみると息をはずませている。しばらく休ませてやろうという作者の優しさに、句の味わいがある。だったら、友釣りなんかはじめからしなければいいのに。そんな声も聞こえてきそうだ。二日酔いの亭主に向かって「何もそんなになるまで飲まなくても……」というどなたかのご意見に似ている。『海ほほづき』(1960)所収。(清水哲男)


June 0461998

 雨あとの土息づくや茄子の花

                           松本一枝

蔵野市内の小学校の給食メニューに、今月が旬の食べ物として「茄子」があがっていた。昔は梅雨明け頃だったように思うが、今ではそういうことになってきたようだ。それはともかく、茄子は葉の蔭に淡い紫色の花をつける。よく見ると、なかなかに可憐で美しい花である。花になんて目もくれなかった少年時代に、この花だけには「ちょっと、いいな」と思った記憶がある。私の花への初恋だ。茄子は水をたくさんほしがる植物だから、さぞかし梅雨の季節は嬉しい気持ちだろう。作者にその知識があるかどうかは別にして、句は見事に雨上がりの後の茄子の花の美しさを表現しきっている。土が「息づく」と見えるのも、ひとつにはそこに茄子の花が咲いていたからである。野菜の花とは、総じて可憐であり命は短い。(清水哲男)


June 0561998

 ゆくりなく途切れし眠り明易し

                           深谷雄大

くりなくも旧友に出会った。……などと、普通「ゆくりなく」は「思いがけなく」といったような意味で使われる。「ふと」などより心情的色彩が濃い言葉だ。したがって、夢が「ゆくりなく」も途切れることはあっても、自然体の眠りについての言葉としてはそぐわない。眠りそのものには、眠っている人の意志や心が関与していないからだ。人は毎朝思いがけず目覚めているのではなくて、自らの心のありようとは無関係に起きているはずである。そのことを承知で、作者は自然に目覚めたのにも関わらず、眠りが「ゆくりなく」も早めに中断されたとボヤいている。理不尽と捉えている。ここが面白い。などと呑気に書いている私も、実はこのところよく思いがけない(ような)目覚めに出会う羽目になってきた。ひとえに年齢のせいだと思っているのだが、夜明け前直前くらいに目覚めてしまい、後はどうあがいても眠れなくなってしまうのだ。こいつは、かなり苦しいことである。老人の早起き。あれはみな、本人にとっては睡眠の強制執行停止状態なのだろう。となれば、老人の眠りに限っては「ゆくりなく」の使用がノーマルに思えてくる。「俳句界」(1998年6月号)所載。(清水哲男)


June 0661998

 蛇苺われも喩として在る如し

                           河原枇杷男

から禁じられても青い梅などは平気で口にしていた悪戯小僧たちも、蛇苺だけには手を出さなかった。青梅は腹をこわすだけですむけれど、蛇苺は命を失うと脅かされていたからだ。敗戦直後の飢えていた時代にも、蛇苺だけはいつまでも涼しい顔で生き残っていた。別名がドクイチゴ。そういう目で見ると、たしかに蛇苺の赤い色は相当に毒々しい。命名の由来は知らないが、べつに蛇が食べるからというのではなく、たぶん人々が蛇のように忌み嫌ったあたりにありそうだ。つまり、れっきとした苺の仲間なのに、苺とは見做されてこなかった。苺なのに苺ではないのだ。ここを踏まえて、作者は自分も蛇苺と同じように、人間なのに人間じゃないような気がすると韜晦(とうかい)している。人間の喩(ゆ)みたいだと、自嘲しているのである。枇杷男のまなざしは、たいていいつも暗いほうへと向いていく。性分もあるのだろうが、人間存在の根底に流れているものは、そんなに明るくないことを絶えず告知しつづけてきた表現には、ずしりと胸にこたえるものがある。なお、蛇足ながら蛇苺はまったくの無毒であり、勇気を出して食べた人によると「極めてまずい」のだそうである。『蝶座』(1987)所収。(清水哲男)


June 0761998

 五月雨の降のこしてや光堂

                           松尾芭蕉

五月十三日、芭蕉と曽良は平泉見物に訪れ、別当の案内で光堂(正式には金色堂)を拝観している。「おくのほそ道」の途次のことだ。句意を岩波文庫から引いておく。……五月雨はすべてのものを腐らすのだが、ここだけは降らなかったのであろうか。五百年の風雪に耐えた光堂のなんと美しく輝いていることよ。とまあ、これは高校国語程度では正解であろうが、解釈に品がない。芭蕉はこのように光堂の美しさをのみ詠んだのではなくて、光堂の美しさの背景にある藤原氏三代やひいては義経主従の「榮耀一睡」の夢に思いを馳せているのだからである。有名な「夏草や兵どもが夢の跡」はこのときの句だ。ところで光堂であるが、現在は鉄筋コンクリートの覆堂(さやどう)で保護されている。たとえば花巻の光太郎山荘と同じように、元々の建物をそっくり別の建物で覆って保護しているわけだ。家の中の家という感じ。芭蕉の時代にも覆堂はあり(と、芭蕉自身がレポートしている)、学者によれば南北朝末の建設らしいが、いずれにしても五月雨からは物理的に逃れられていた。『おくのほそ道』の文脈のなかではなく、こうして一句だけを取り出して読むと、光堂はハダカに見える。また、ハダカでなければ句が生きない。その意味からすると状況矛盾の変な句でもあるのだが、覆堂の存在を忘れてしまうほどの美しさを言っているのであろう。昔の句は難しいデス。(清水哲男)


June 0861998

 開くかな百合は涙を拭いてから

                           折笠美秋

白の百合である。百合の開花を、このように人間的に、しかも高貴に捉えた句を他に知らない。作者は百合という生命体を心からいとおしみ、自己衰亡につながる開花を決然とやってのける姿に打たれている。もとより百合自身にそんな意識はないのであるが、それがそのように見えるのは、作者の生命に対する畏怖であり畏敬の念からである。見事なほどに美しい句だ。たしかに、百合は決然と花開く。そうか、そしてその前にはひっそりと涙を拭いているのか。折笠美秋は東京新聞の優れた記者であると同時に気鋭の俳人として活躍していたが、志半ばにして病に倒れた。ベッドでの思いを、夫人が口の動きだけを頼りに書きとめた文章のごく一部を紹介しておく。「……奇妙な病魔に冒され、五体萎えて動かず、ほぼ意のままに動かし得るのは、目と口とのみである。その口も音声を発し得ず、目もまた、いたずらに白い天井を睨むばかりである。/字が書きたい」。病名を筋萎縮性側索硬化症というが、当人には知らされなかった。『君なら蝶に』(1986)所収。(清水哲男)


June 0961998

 金塊のごとくバタあり冷蔵庫

                           吉屋信子

後三年目の夏の句。いまでこそバターはどこの家庭にもあるが、戦中戦後はかなりの貴重品であった。冷蔵庫(電気冷蔵庫ではない)のある家も極めて少なく、それを持っている作者は裕福だったと知れるが、その裕福な人が「金塊」のようだというのだから、バターの貴重度が理解できるだろう。冷蔵庫のなかでひっそりと冷えているバター。それは食べ物ではあるけれど、食べるには惜しい芸術品のようなものですらあった。十歳を過ぎるころまで、私などは純正のバターを見たこともない。作者の吉屋信子は、戦前の少女小説などで一世を風靡した作家。先日、天澤退二郎さんに会ったとき、彼が猛烈なファンだったと聞いた。彼女の少女小説をリアルタイムで読めた年齢は、天澤さんや私の世代が最下限だろう。吉屋信子の俳句開眼は戦時中の鎌倉で、相当に熱心だったらしい。防空頭巾姿で例会に出かけてみたら、警報の最中で誰も来なかったという「たった一人の句会」も体験している。「ホトトギス」雑詠欄巻頭を飾ったこともある。自費出版で句集を出したいという夢を生涯抱きつづけていたが、適わなかった。出たのは没後二年目である。『吉屋信子句集』(1974)所収。(清水哲男)


June 1061998

 梅雨茸や勤辞めては妻子飢ゆ

                           安住 敦

雨茸は、梅雨時に生じる茸の総称。季節が季節だけに、みな陰湿な感じがする。この句に触れて共感しないサラリーマンは、まず皆無なのではあるまいか。作者は、後年次のように自註している。「『妻子飢ゆ』はすこし悲愴調だが、事実こうでも言わなければおさまらないほど、当時勤めが憂鬱で辞めることばかり考えていた。俳句で食っていけるともいこうとも思わなかったが、いやな勤めならやめてしまえばいい、何とかやっていけるだろう、ふみ切ればいいのだと思いながらやはりその決断がつかなかった。(中略)人生五十代も終わろうとしての、無能な男の焦燥がわがことながらいたわしい」。句は1965年に書かれていて、この国の経済は上り坂にあった。還暦目前の男にも「何とかやっていけるだろう」という雰囲気だけはあったわけだが、今の不景気の最中ではそれすらもない。句の持つやりきれなさは時代とともに変化し、現代において最もその暗い顔を見せているというべきか。それにしても、この句が何のことやら不可解になるような時代は、いつか来ることがあるのだろうか。来そうもないですなア。『午前午後』(1972)所収。(清水哲男)


June 1161998

 百姓に泣けとばかりや旱梅雨

                           石塚友二

姓は差別用語だそうな。馬鹿を言っちゃあいけないと、百姓の伜であった私は腹が立つ。故郷の友人は、みな自分の職業をすらりと「百姓」と言う。誰が考えたのか「農業専従者」だなんて、アホらしくて名乗れたものじゃない。顔が赤くなる。ところで、今年の梅雨はまずはマトモで安心していられそうだが、ときに旱(ひでり)梅雨となる年がある。いわゆる空梅雨だ。百姓の仕事は、言うならば天を相手に大博打を打っているようなものだから、こいつは心底タマらない。水気の薄い青田を前にして呆然としている百姓爺の濡れた目は、一度見たら忘れられるものではない。作者には高等小学校を卒業してから三年間ほどの百姓体験があり、都会に住んでからも「百姓というものに無関心で過ごせない人間」となった。だからこその「泣けとばかりや」……。感傷ではあるのだが、百姓の仕事に結果だけを求める風向きのなかで、この感傷にはそんな風向きに抗う凛とした響きがある。梅雨期を無事に過ぎれば過ぎたで、今度は日照時間の問題、次には台風と、これからも百姓の天を睨む生活はつづいていく。が、たまに会うと、田舎の友人は必ず「清水よ、百姓は面白いぞ。最近は仕事も楽だしな」と言う。『曠日』所収。(清水哲男)


June 1261998

 提燈花要所に点る城の径

                           甲斐遊糸

燈花は釣鐘草ともいい、蛍袋の名でも知られる。先の二つは花の形状からの命名で、蛍袋はこの花に蛍を入れて遊んだことから名付けられたようだ。などと書くと、いかにも物知りみたいだが、提燈花をそれと意識して見たのは最近のことだ。この花のことは以前から気になっていて、よく行く野草園の植えられている場所まで知っているのだが、花季にめぐりあったことがなかった。ところが先日、放送局の応接机に何気なく目をやると、なんとたくさんの提燈花が無造作に活けられてあるではないか。誰に名前を聞かなくても、私にはすぐにわかった。ちょっと興奮した。その興奮の余韻で、実はこの句を角川版の歳時記から引いたのだが、なるほどこの見立ては面白い。城への径には、あたかも人が要所に提燈を配置したように提燈花が点(とも)っていたというのである。見立ては、下手をすると大野暮になる。その意味からすれば,この句は、野暮ギリギリのところでの寸止めが小気味よく利いていると思う。これ以上突っ込んだら、あざとくなる。作者は大串章主宰「百鳥」同人。(清水哲男)


June 1361998

 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり

                           三橋鷹女

こまで言いきれたら、さぞや気持ちがいいことだろう。言いたくても、なかなかこうすっぱりとは言いきれない。昔から人には素人栄養士みたいなところがあって、他人が少しでも弱っていると「ちゃんと野菜食べてる?」などと忠告したりする。言われた当人も、別の場面ではいっぱしの栄養士なのだからして、余計な忠告をうるさいと思いながらも、図星だから黙ってうなずくしかないのである。ここで鷹女が嫌悪しているのは、そうした他人からの無責任な忠告もさることながら、自分のなかに棲む栄養士的なる存在のそれに対してでもあったろう。つまり、句の憤りは、他人に向けられていると同時に自己にも向けられている。自分にも言い聞かせている。そう読まなければ、単なるわがまま句になってしまう。このとき、作者は三十七歳。1935年の女三十七歳といえば、もはや世の中に甘えたりすねたりできる年齢ではなかった。一見、無茶を言っていると写るが、実は万人の心の奥の本音をあっけらかんとさらしてみせているのだ。ここが非凡。現代はとりわけて、やれ栄養だのやれ健康増進だのと、かまびすしい世の中である。それだけに、句に共感する読者も多いと思う。『向日葵』所収。(清水哲男)


June 1461998

 太初より昼と夜あり蛍狩

                           矢島渚男

者の夫人・矢島昭子さんに『山国の季節の中で』(紅書房・1998)という瀟洒なエッセイ集がある。信州での季節感に富んだ生活を折りに触れて綴ったもので、それぞれの文末には渚男の句が一句ずつ添えられている。この句は「蛍の頃」という文章に記されたものだ。「蛍火はどこかに忘れて来てしまった大切なものを思い出させてくれるような神秘の色だ。自分が生まれる前に出会ったような、夭折の天才たちが漂っているような、さまざまなことが湧いてくる」。ここで、文章と句がしっくりと照応している。ところで昭子夫人の子供の頃の蛍狩の思い出として「家の裏の葱畑から太そうな葱を一本折ってきて、それが蛍籠になる」とあるけれど、葱が蛍籠になるとは初耳だった。私の山口の田舎では、麦藁を編んで作るのが一般的だったが、工作の得意な友人は竹製のゴージャスな蛍篭を作ったりした。蛍狩にまつわるエピソードは多い。わが弟、小学生の昶が夢中になったあまりに、肥だめに転落した事件はいまだに語り草となっている。(清水哲男)


June 1561998

 夕釣や蛇のひきゆく水脈あかり

                           芝不器男

格的な釣りの体験はないが、それでも句の情景はよくわかる。夕暮れ時の川面は、あたりが暗くなってきても、しばらくは明るいのである。その静かに明るい川面を、音もなくすうっと蛇が横切っていった。ひいている一筋の、ひときわ明るく見える水脈(みお)でそれと知れるのだ。それだけのことしか言ってはいないが、読者には川の雰囲気やそのあまやかな匂いまでが伝わってくる。なつかしい気までしてくる。芝不器男はトリビアルな素材を詠んで、その場の全体像を彷彿とさせる名人だった。つとに有名な「麦車馬に遅れて動き出づ」なども一例で、映画のスローモーション場面を見ているようである。これだけで麦秋の農村風景を書き切っている。不器男は愛媛の人。東京大学農学部や東北大学工学部で学んだが、いずれも卒業するにいたらず帰郷。1930年(昭和5年)に、二十七歳にも満たない若さで亡くなった。したがって句数も少なく、現在入手可能な本としては、飴山實が編んだ『麦車』(ふらんす堂・1992)の209句で全貌を知ることができる。(清水哲男)


June 1661998

 団扇膝に立て世界は左右に分れけり

                           上野 泰

扇(うちわ)が世界を二つに分けるという発想は、上野泰の感性ならではのものだ。文句なしに面白い。ただし、面白いと感じるのは、ほとんどそれとは意識せずに、私たちもまた日常的にこういうことをやっているからだろう。剣客の塚原卜伝は背後から打ち込まれたとき、咄嗟に目の前の鍋の蓋を防具にしたというが、そこまで実践的とはいかずとも、人が手にする物は本来の用途とは異なる精神的心理的な防具や武器などになる場合がある。たとえば、ニュースキャスターでいつも鉛筆を持って放送している人がいる。あれはメモを取るという本来の用途とは別に、彼の鉛筆には剣の意味もあるわけで、心理的な自己防衛のための小道具なのである。見ていると、後者の役割のほうが大きいことがわかる。そういうことの延長上に、この団扇も別の意味をもって現象しており、世界を真二つに切断する強力な刃、ないしは巨大な壁のように機能している。かくのごとくに団扇一枚で世界を左右に分ける男もいれば、団扇の持ちようで全身を完璧に隠せる女もいる……。すなわち、小は大を兼ねるのである。『春潮』(1955)所収。(清水哲男)


June 1761998

 バナナむく吾れ台湾に兵たりし

                           鈴木栄一

つての戦争とバナナとは、イメージ的に強烈な結び付きがあった。作者のように、兵隊として実際に台湾バナナを食べた人もいるけれど、多くの国民にとっては、バナナは南洋の夢の食べ物として垂涎の的なのであった。島田啓三の漫画『冒険ダン吉』にも盛んにバナナが登場し、庶民にとっては日本の南方進出の象徴としての食べ物だったわけだ。「青いバナナも黄色く熟れて……」という歌も流行したが、しかし、戦争中の国内でバナナを口にできた人は少なかったはずである。私のように『冒険ダン吉』の絵でしかバナナを知らない子供も多かったろう。それでも、わずかに乾燥バナナだけは出回っており、その干涸びたバナナでも美味は美味だった。敗戦後しばらくの間はその乾燥バナナさえ姿を消してしまったが、高校時代に偶然、立川駅の売店で発見したときは嬉しかった。買ってみると、包装紙にはなにやら英語が書いてあって、アメリカ軍御用達の趣きがあったことを覚えている。戦時中の日本のそれも、軍隊の保存食用に開発されたものではないかと思う。バナナと戦争。詳しく調べれば、興味深いノンフィクションが書けるかもしれない。(清水哲男)


June 1861998

 学校をろうやにしているつゆの空

                           大橋清和

藤園主宰「おーいお茶俳句大賞」の第七回入賞句。作者は小学生か。雨降りつづきで、校庭で遊べない環境を「ろうや」みたいだと言っている。いかにも子供らしい発想を評価されての入選だろう。ただし、採り上げておいて文句を言うのも気がひけるが、私が選者だったら、この句によい点は入れない。子供としての作者の発想が、あまりにも類型的だからだ。それも、大人の描く子供像にはまり過ぎている。黛まどか主宰「東京ヘップバーン」のOL句にも共通する類型の「お化け」が、「らしさ」が鼻につく。最近はあちこちで子供の俳句大会が催されるが、入選句はおおむね類型沈没型であり、どうも面白くない。何かの雑誌で荒川洋治が讃めていた「群馬県異状乾燥注意報」のような破天荒な(?)発想の句のほうが、よほど子供らしいと思う。でも、作者の名誉のために付言しておけば、類型的であれ、表現力には確かなものを感じさせる。私がはじめて教室で作ったのは「春がきて小鳥さえずりたのしそう」という類型沈没の最たるものであり、思いだすのも恥ずかしい句だ。家に戻って父親に見せたら「こんなものは俳句じゃない」と一蹴された。こんなのに比べれば、大橋君の腕前はたいしたものではあるのだけれど。『十七文字のチカラコブ』(1996)所収。(清水哲男)


June 1961998

 あひみての後の日傘をひるがへす

                           中尾杏子

作だと思う。情景としては、人と会った後で別れ際にさっと日傘をひるがえしたという女性の仕種を詠んでいる。これだけでも十分に華麗な身のこなしが伝わってくるが、それだけではない。百人一首でおなじみの「逢見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり」(権中納言敦忠)の「あひみての」を踏んでいて、この言葉は会っていた相手と自分との関係を示唆している。すなわち「あひみる」は、たとえば『徒然草』に「男女の情けも、ひとへにあひみるをばいふものかは」とあるように、事は「男女の情け(男女の契り)」に関わっているのであり、ここを踏まえて読むと、句は日傘をひるがえす女の心理にまで到達していることがわかる。別れがたいところを、日傘をひるがえすことにより相手との関係を断ち切った……。そんな心理が魅力的に描かれている。作者には他に「惜春の真赤な卓に身を溶かす」などがある。この句もまた情意に満ちていて、凡手ではないことをうかがわせる。情景へのアクセスが素早く、しかも人間的に極めて美しいアクセス・アングルだ。「俳句文芸」(1998年6月号)所載。(清水哲男)


June 2061998

 梅雨ごもり眼鏡かけたりはずしたり

                           ジャック・スタム

國滋・佐藤和夫監修・訳の句集『俳句のおけいこ・MY HAIKU JOURNEY』(河出書房新社・1993)より。評者はこの1991年に東京で亡くなったアメリカの俳人が好きで、この句集を愛読している。ひとつには彼の俳句の下手なところが良く、下手は下手なりの愛敬があるのである。それに彼の句には英訳が付いていて(彼は英語と日本語で句を作った)、それを見て英語表現の面白さを知ることができる。この句の英語版は、Shut in by rain / puttkng on my glasses / taking them off. である。これを見ると、梅雨って単なるrainなのかァ。いま梅雨さなか。(井川博年)


June 2161998

 どっちみち梅雨の道へ出る地下道

                           池田澄子

降りの日は地下道が混雑する。少々遠回りでも、なるべく雨を避けて歩きたい人が多いからである。かくいう私ももちろんその一人だが、しかし、句の言うように、いずれは雨の道に出なければならないのだ。そう思うと、わずかの雨を嫌がって地下道を歩いている自分が情けなくも滑稽に見えてくる。晴れている日と同じように、いつもの地上の道を真っ直ぐに行けばよいものを……。と、思いつつも、やはり地下道を選んで歩いてしまう。これが人情というものである。なお「どっちみち」は「いずれにしても」と「どっちの道」の二重の意味にかけてある。なんということもないような句だが、読者に「なるほど」と思わせる作者のひらめきは、なかなかどうして脱帽ものだ。自由詩では書けない世界である。いつか梅雨時の地下道で、この句を思い出して苦笑いする読者も少なくないだろう。「池田さんは正直に、デリケートに、またユーモアを秘めて時代と向き合っていると思う」(谷川俊太郎)。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)


June 2261998

 屋上にサルビヤ炎えて新聞社

                           広瀬一朗

ルビアはブラジルが原産地だ。いかにも南国の花らしく、この花には可憐なところも、はかないところもない。したがって、まさか疎ましく思う人はいないだろうが、じっくりと観賞する人も少ないだろう。とにかく、ちっちゃなくせにやたらと元気で勢いがよろしい。そんな花を、作者は新聞社の屋上で見かけて、新聞社の仕事の勢いに似合っているなと合点したところだ。サルビアは、新聞社のような人の出入りが激しい建物の傍に植えられていることが多く、美術館や博物館、あるいは公共の施設などの花壇でよく見かける。生命力の強い多年草であり、花期も長いからであろう。ところで、この花の色はふつう緋赤である(和名を緋衣草というくらいだ)が、我が「花のアンチョコ」で調べてみたら、世界中に750種類ほど分布しているそうだ。色も多様で、緋赤以外にもピンクや紫、はては白色の花もあると書いてあった。白いサルビアか……。これだったら、可憐でもあり、はかない感じがするかもしれない。見てみたい。日本でも咲いているようだから、見たことがあるのかもしれないけれど、白色なのでサルビアとは思わなかった可能性はある。(清水哲男)

[東京新聞宇都宮支局・田島力氏からの情報提供] 品川駅港南口にある弊社(東京新聞)の屋上は人の出入りを想定していない、汚いアスファルト敷きの変哲もない場所でした。近くに食肉市場や汚水処理場があって悪臭が 絶えず、昼休みあたりに上がってくつろげるようなところではありませんでした。だれかが花の鉢を置いていたとは驚きです。私も一度思い屈したときに上がったことがあり、気を取り直してから職場に戻った記憶があります。広瀬氏がど んな思いで屋上に出てサルビアを見たのか、ふだん物静かだった方の激しい一面を見た思いがいたします。いま屋上は建て増し増築の五階となって、コンピュータールームに変じております。広瀬氏は平成6年9月に67歳で亡くなられました。


June 2361998

 雨の日は傘の内なり愛国者

                           摂津幸彦

ういう句を読むと、俳句はつらいなと思う。愛国者の「主義主張」も「悲憤慷慨」も、しょせんは雨に濡れるのを嫌う普通の人々と同じ思考回路(傘)の内にある……。と、一つの読み方はこれでよいと思うが、しかし、ここでは肝腎の「愛国者」の顔がまったく見えてこない。あまりにも漠然としていて、つかみ所がないのである。こいつは、読者には大いに困る事態なのだ。なぜこうなるかは、もちろん俳句が短いという単純な理由によるわけで、作者の「愛国者」観は永遠に作者の内(傘の内)に閉じ込められたままとなっている。そこで読者としては、俳句お得意の取り合わせの妙があるかどうか、作者によって各自にゆだねられた「愛国者」観を通して、それを感じるしかないということになってしまう。作者の書き残した散文を読むと、単なる取り合わせだけに終わっている句を嫌悪しているが、そしてこの句は確かに「単なる取り合わせ」の殻を破ろうとしていることだけはわかるが、しかし結局は取り合わせで読まれるしかない不幸を構造的に背負ってしまっている。そんなハンデを百も承知で、なぜ摂津幸彦は俳句に執したのだろうか。句の「愛国者」をこれまた曖昧な概念の「売国奴」に入れ替えたとしても、作者のねらいは少しも変わらないのではないかと、私には思える。俳句は自由詩じゃない。だからこのように、誰かがつらいシーンを引き受けなければならない場合もあるということなのか。『奥野情話』(1977)所収。(清水哲男)


June 2461998

 蜜豆は豪華に豆の数少な

                           川崎展宏

党ではないのに、無性に蜜豆を食べたくなるときがある。寒天の口当たりが好きなのと、なんだか色々とゴチャゴチャ入っている様子が目に楽しいからである。蜜豆の豆は茹でた豌豆(えんどう)。ネーミングからすると豆が主役みたいだが、豆単体では美味とは言えず、要するに何が主役なのかわからない食べ物である。したがって「豪華に少ない」という形容矛盾は、蜜豆に限っては矛盾しないというわけだ。豆が少なく感じられるほどに、色とりどりの脇役(?)がどっさり入っている楽しさ。なるほど「豪華に少ない」としか言いようがない。作者の新発見である。つまり、詩である。蜜豆の句で有名なのは、山口青邨の「蜜豆の寒天の稜の涼しさよ」だ。なるほどと私も思うが、この人、そんなに蜜豆が好きではないような気がする。食べたいという気持ちよりも前に、よい句にしたいという気取りが透けて見えている。『義仲』(1978)所収。(清水哲男)


June 2561998

 冷奴酒系正しく享け継げり

                           穴井 太

父も大いに飲み、父もまた酒好きだった。そしてこの私においても、酒系は見事にも正しく受けつがれている。血は争えない。冷奴で一杯やりながら、作者は真面目な顔で感じ入っている。といって、別に感心するようなことでもないが、この自己納得の図はなんとなく可笑しい。酒飲みという人種はまことにもって仕様がないもので、いちいち飲む理由をつけたがる。冠婚葬祭なら大威張りで飲めるが、そうでないときは隙あらば飲みたいがために、いつも理由を探しまわっている。しかし、結局は何だっていいのだ。そんなことは当人も百も承知であるが、一応理屈をつけておかないと、はなはだ飲み心地がよろしくない。世間に対して(たいていの場合、世間とは連れ合いのことである)後ろめたい。したがって、付き合いで(つまり、仕方なく)飲むというのが、理由のなかでも高い位置を占めるのであり、句のような一人酒ではこれも通用しないから、究極的には酒系に落ち着くことになる。ご先祖のせいにしてしまう。同じ作者で、もう一句。「筍さげ酒にすべきか酒にする」。筍のせいにしている。『原郷樹林』(1991)所収。(清水哲男)


June 2661998

 壷に咲いて奉書の白さ泰山木

                           渡辺水巴

品だ。というのも、まずは句の花の位置が珍しいからである。泰山木の花は非常に高いところ(高さ10メートルから20メートル)に咲くので、たとえ自宅の庭に樹があったとしても、花を採取すること自体が難しい。したがって、多くの歳時記に載っている泰山木の花の句に、このように近景からとらえたものは滅多にない。ほとんどが遠望の句だ。この句は、平井照敏編『新歳時記』(河出文庫・1989)で見つけた。で、読んですぐ気にはなっていたけれど、なかなか採り上げることができなかったのは、至近距離で泰山木の花を見たことがなかったからである。遠望でならば、母校(都立立川高校)の校庭にあったので、昔からおなじみだった。ところがつい最近、東大の演習林に勤務している人に会う機会があり、その人が大事そうに抱えていた段ボール箱から取り出されたのが、なんと泰山木の純白の花なのであった。直径25センチほどの大輪。そして、よい香り……。近くで見ても、一点の汚れもない真っ白な花に、息をのむような感動を覚えた。そのときに、この句がはじめてわかったと思った。作者もきっと、うっとりとしていたにちがいない。なお、「奉書」とはコウゾで作られた高級な和紙のことをいう。しっとりと白い。(清水哲男)


June 2761998

 泉辺の家消えさうな子を産んで

                           飯島晴子

島晴子はシンカーの名人だ。直球のスピードで来て、打者の手元ですっと沈む。この句で言えば、出だしの「泉辺の家」は幸福の象徴のように見える「けれん味のない直球」だが、つづいての「消えさうな」で、すっと沈んでいる。ここで、読者は一瞬戸惑う。そして、次の瞬間にはその鮮やかな沈みように感心する。「消えさうな」のは「家」でもあり「子」でもある。明暗の対比の妙。つまり作者の作句上のテーマは、常識的な情緒には決して流されないということだろう。見かけだけの明るさをうたっていたのでは、いつまでたっても俳句は文学的に生長していかない。人間の真実を深いところでとらえられない。そうした意識が作家の目を生長させた結果が、たとえばこの句に結実している。ひらたく言うと、飯島晴子のまなざしは常に意地が悪いとも言えるのである。天真爛漫など信じない目だ。もう一句。「幼子の肌着をかへる夏落葉」。これも相当に怖い作品だ。可愛いらしい幼子の周辺に、暗い翳がしのびよっている。『定本・蕨手』(1972)所収。(清水哲男)


June 2861998

 さみだれを集めて早し最上川

                           松尾芭蕉

っている人もいると思うが、この句の原形は「さみだれを集めて涼し最上川」であった。泊めてくれた船宿の主人に対して、客としての礼儀から「雨降りのほうが、かえって涼しくていいですよ」と挨拶した句だ。それを芭蕉は『おくのほそ道』に収録するに際して、「涼し」を「早し」と改作した。最上川は日本三大急流(あとは富士川と球磨川)のひとつだから、たしかにこのほうが川の特長をよくとらえており、五月雨の降り注ぐ満々たる濁流の物凄さを感じさせて秀抜な句に変わっている。ところで、実は芭蕉はこのときにここで舟に乗り、ずいぶんと怖い目にあったらしい。「水みなぎつて舟あやうし」と記している。だったら、もう少し句に実感をこめてくれればよかったのにと、私などは思ってしまう。単独に句だけを読むと、最上川の岸辺から詠んだ句みたいだ。せっかく(?)大揺れに揺れる舟に乗ったのに、なんだか他人事のようである。このころの芭蕉にいまひとつ近寄りにくい感じがするのは、こういうところに要因があるのではなかろうか。もしかすると「俳聖」と呼ばれる理由も、このあたりにあるのかもしれない。そういえば、実際にはおっかなびっくりの旅だったはずなのに、『おくのほそ道』の句にはまったくあわてているフシがみられない。関西では昔から、こういう人のことを「ええカッコしい」という。(清水哲男)


June 2961998

 玉葱の皮むき女ざかりかな

                           清水基吉

が玉葱をむいている。いまが旬の玉葱は、つややかにして豊満である。その充実ぶりは台所に立つ女にも共通していて、作者は一瞬、まぶしいような気圧されるような気分になった。女と玉葱。言われてみると、なるほどと思う。色っぽい。まさに取り合わせの妙というべきだろう。ただし一方では、悲しいことに、人はおのれの「さかり」を自覚できないということがある。玉葱をむいているこの女性も、そんなことは露ほども感じていないだろう。さすれば句のように、いつも「さかり」は他人が感じて、その上で規定し定義する現象である。そういう目で見ると、この句は色っぽさなどを越えて、人が人として存在する切なさまでをも指さしているようだ。以下は蛇足。規定し定義するといえば、辞書や歳時記はそのためにあるようなものだけれど、こうした本で調べて、何かがわかるということは意外にも少ない。手元の歳時記で「玉葱」とは何かを調べてみよう。「直径九センチ、厚さ六センチぐらいの偏平な球形。多く夏に採取する。たべるのは鱗形で、内部は多肉で、特異の刺激性の臭気がある。初秋のころ、白色もしくは淡緑色の小花を球形につづる。わが国へは明治初年の渡来」(角川版『俳句歳時記新版』・1974)。玉葱を知らない人が読んだら、かえって何がなんだかわからない。で、知っている人が読んでも、玉葱の実物とはかなり違う感じを受けるだろう。もちろん、事は玉葱だけに関わる問題じゃない。どうして、こんなことになっちまうのか。(清水哲男)


June 3061998

 外を見る男女となりぬ造り滝

                           三橋敏雄

女の機微に疎い人は(といって、私が敏いというわけではありません。念の為)、二人が仲違いしたのかと誤解するかもしれない。事実はその逆で、いうところの「深い仲」になった感慨が詠まれているのである。新婚なのか不倫なのか、はたまた行きずりの恋なのか。定かではないけれど、いや、そんなことはどうでもよろしいのであって、とりあえず旅館というような場所では、外を見るしか所在のないのがこういうときである。二人は、べつに滝を観賞しているわけではない。宿屋がこれみよがしに造成した滝が、いちばん目立つので、仕方なく目をやっているだけの話だ。それにしても、この国の宿屋の庭には悪趣味が目立つ。造り滝といい枝々をひねくりまわした松といい、さらには死にそうな鯉を泳がせている池といい、あれらは全体いかなる美意識の産物なのであろうか。そんな野暮な庭のおかげをこうむるのは、こういうときだけだ。つまり、悪趣味も人助けになるときもあるということ。が、その庭すらも存在しない現今のラブホテルでは、こんなときの二人はどうするのだろうか。たぶん、見たくもないテレビのスイッチを入れて、外を見ている気分になるのであろう。『まぼろしの鱶』(1966)所収。(清水哲男)




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