図書館帰りに蕎麦屋へ。麦酒に熱い饂飩を取って、借りてきた本を拾い読みする…。




1998ソスN6ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0861998

 開くかな百合は涙を拭いてから

                           折笠美秋

白の百合である。百合の開花を、このように人間的に、しかも高貴に捉えた句を他に知らない。作者は百合という生命体を心からいとおしみ、自己衰亡につながる開花を決然とやってのける姿に打たれている。もとより百合自身にそんな意識はないのであるが、それがそのように見えるのは、作者の生命に対する畏怖であり畏敬の念からである。見事なほどに美しい句だ。たしかに、百合は決然と花開く。そうか、そしてその前にはひっそりと涙を拭いているのか。折笠美秋は東京新聞の優れた記者であると同時に気鋭の俳人として活躍していたが、志半ばにして病に倒れた。ベッドでの思いを、夫人が口の動きだけを頼りに書きとめた文章のごく一部を紹介しておく。「……奇妙な病魔に冒され、五体萎えて動かず、ほぼ意のままに動かし得るのは、目と口とのみである。その口も音声を発し得ず、目もまた、いたずらに白い天井を睨むばかりである。/字が書きたい」。病名を筋萎縮性側索硬化症というが、当人には知らされなかった。『君なら蝶に』(1986)所収。(清水哲男)


June 0761998

 五月雨の降のこしてや光堂

                           松尾芭蕉

五月十三日、芭蕉と曽良は平泉見物に訪れ、別当の案内で光堂(正式には金色堂)を拝観している。「おくのほそ道」の途次のことだ。句意を岩波文庫から引いておく。……五月雨はすべてのものを腐らすのだが、ここだけは降らなかったのであろうか。五百年の風雪に耐えた光堂のなんと美しく輝いていることよ。とまあ、これは高校国語程度では正解であろうが、解釈に品がない。芭蕉はこのように光堂の美しさをのみ詠んだのではなくて、光堂の美しさの背景にある藤原氏三代やひいては義経主従の「榮耀一睡」の夢に思いを馳せているのだからである。有名な「夏草や兵どもが夢の跡」はこのときの句だ。ところで光堂であるが、現在は鉄筋コンクリートの覆堂(さやどう)で保護されている。たとえば花巻の光太郎山荘と同じように、元々の建物をそっくり別の建物で覆って保護しているわけだ。家の中の家という感じ。芭蕉の時代にも覆堂はあり(と、芭蕉自身がレポートしている)、学者によれば南北朝末の建設らしいが、いずれにしても五月雨からは物理的に逃れられていた。『おくのほそ道』の文脈のなかではなく、こうして一句だけを取り出して読むと、光堂はハダカに見える。また、ハダカでなければ句が生きない。その意味からすると状況矛盾の変な句でもあるのだが、覆堂の存在を忘れてしまうほどの美しさを言っているのであろう。昔の句は難しいデス。(清水哲男)


June 0661998

 蛇苺われも喩として在る如し

                           河原枇杷男

から禁じられても青い梅などは平気で口にしていた悪戯小僧たちも、蛇苺だけには手を出さなかった。青梅は腹をこわすだけですむけれど、蛇苺は命を失うと脅かされていたからだ。敗戦直後の飢えていた時代にも、蛇苺だけはいつまでも涼しい顔で生き残っていた。別名がドクイチゴ。そういう目で見ると、たしかに蛇苺の赤い色は相当に毒々しい。命名の由来は知らないが、べつに蛇が食べるからというのではなく、たぶん人々が蛇のように忌み嫌ったあたりにありそうだ。つまり、れっきとした苺の仲間なのに、苺とは見做されてこなかった。苺なのに苺ではないのだ。ここを踏まえて、作者は自分も蛇苺と同じように、人間なのに人間じゃないような気がすると韜晦(とうかい)している。人間の喩(ゆ)みたいだと、自嘲しているのである。枇杷男のまなざしは、たいていいつも暗いほうへと向いていく。性分もあるのだろうが、人間存在の根底に流れているものは、そんなに明るくないことを絶えず告知しつづけてきた表現には、ずしりと胸にこたえるものがある。なお、蛇足ながら蛇苺はまったくの無毒であり、勇気を出して食べた人によると「極めてまずい」のだそうである。『蝶座』(1987)所収。(清水哲男)




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