太宰治入水の日。当時人喰川といわれた玉川上水も、昔日の凄みはなく至極穏やか。




1998ソスN6ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1361998

 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり

                           三橋鷹女

こまで言いきれたら、さぞや気持ちがいいことだろう。言いたくても、なかなかこうすっぱりとは言いきれない。昔から人には素人栄養士みたいなところがあって、他人が少しでも弱っていると「ちゃんと野菜食べてる?」などと忠告したりする。言われた当人も、別の場面ではいっぱしの栄養士なのだからして、余計な忠告をうるさいと思いながらも、図星だから黙ってうなずくしかないのである。ここで鷹女が嫌悪しているのは、そうした他人からの無責任な忠告もさることながら、自分のなかに棲む栄養士的なる存在のそれに対してでもあったろう。つまり、句の憤りは、他人に向けられていると同時に自己にも向けられている。自分にも言い聞かせている。そう読まなければ、単なるわがまま句になってしまう。このとき、作者は三十七歳。1935年の女三十七歳といえば、もはや世の中に甘えたりすねたりできる年齢ではなかった。一見、無茶を言っていると写るが、実は万人の心の奥の本音をあっけらかんとさらしてみせているのだ。ここが非凡。現代はとりわけて、やれ栄養だのやれ健康増進だのと、かまびすしい世の中である。それだけに、句に共感する読者も多いと思う。『向日葵』所収。(清水哲男)


June 1261998

 提燈花要所に点る城の径

                           甲斐遊糸

燈花は釣鐘草ともいい、蛍袋の名でも知られる。先の二つは花の形状からの命名で、蛍袋はこの花に蛍を入れて遊んだことから名付けられたようだ。などと書くと、いかにも物知りみたいだが、提燈花をそれと意識して見たのは最近のことだ。この花のことは以前から気になっていて、よく行く野草園の植えられている場所まで知っているのだが、花季にめぐりあったことがなかった。ところが先日、放送局の応接机に何気なく目をやると、なんとたくさんの提燈花が無造作に活けられてあるではないか。誰に名前を聞かなくても、私にはすぐにわかった。ちょっと興奮した。その興奮の余韻で、実はこの句を角川版の歳時記から引いたのだが、なるほどこの見立ては面白い。城への径には、あたかも人が要所に提燈を配置したように提燈花が点(とも)っていたというのである。見立ては、下手をすると大野暮になる。その意味からすれば,この句は、野暮ギリギリのところでの寸止めが小気味よく利いていると思う。これ以上突っ込んだら、あざとくなる。作者は大串章主宰「百鳥」同人。(清水哲男)


June 1161998

 百姓に泣けとばかりや旱梅雨

                           石塚友二

姓は差別用語だそうな。馬鹿を言っちゃあいけないと、百姓の伜であった私は腹が立つ。故郷の友人は、みな自分の職業をすらりと「百姓」と言う。誰が考えたのか「農業専従者」だなんて、アホらしくて名乗れたものじゃない。顔が赤くなる。ところで、今年の梅雨はまずはマトモで安心していられそうだが、ときに旱(ひでり)梅雨となる年がある。いわゆる空梅雨だ。百姓の仕事は、言うならば天を相手に大博打を打っているようなものだから、こいつは心底タマらない。水気の薄い青田を前にして呆然としている百姓爺の濡れた目は、一度見たら忘れられるものではない。作者には高等小学校を卒業してから三年間ほどの百姓体験があり、都会に住んでからも「百姓というものに無関心で過ごせない人間」となった。だからこその「泣けとばかりや」……。感傷ではあるのだが、百姓の仕事に結果だけを求める風向きのなかで、この感傷にはそんな風向きに抗う凛とした響きがある。梅雨期を無事に過ぎれば過ぎたで、今度は日照時間の問題、次には台風と、これからも百姓の天を睨む生活はつづいていく。が、たまに会うと、田舎の友人は必ず「清水よ、百姓は面白いぞ。最近は仕事も楽だしな」と言う。『曠日』所収。(清水哲男)




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