イギリス直輸入の新型サルモネラ菌中毒が増えているという。主たる感染源は鶏卵。




1998ソスN6ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1661998

 団扇膝に立て世界は左右に分れけり

                           上野 泰

扇(うちわ)が世界を二つに分けるという発想は、上野泰の感性ならではのものだ。文句なしに面白い。ただし、面白いと感じるのは、ほとんどそれとは意識せずに、私たちもまた日常的にこういうことをやっているからだろう。剣客の塚原卜伝は背後から打ち込まれたとき、咄嗟に目の前の鍋の蓋を防具にしたというが、そこまで実践的とはいかずとも、人が手にする物は本来の用途とは異なる精神的心理的な防具や武器などになる場合がある。たとえば、ニュースキャスターでいつも鉛筆を持って放送している人がいる。あれはメモを取るという本来の用途とは別に、彼の鉛筆には剣の意味もあるわけで、心理的な自己防衛のための小道具なのである。見ていると、後者の役割のほうが大きいことがわかる。そういうことの延長上に、この団扇も別の意味をもって現象しており、世界を真二つに切断する強力な刃、ないしは巨大な壁のように機能している。かくのごとくに団扇一枚で世界を左右に分ける男もいれば、団扇の持ちようで全身を完璧に隠せる女もいる……。すなわち、小は大を兼ねるのである。『春潮』(1955)所収。(清水哲男)


June 1561998

 夕釣や蛇のひきゆく水脈あかり

                           芝不器男

格的な釣りの体験はないが、それでも句の情景はよくわかる。夕暮れ時の川面は、あたりが暗くなってきても、しばらくは明るいのである。その静かに明るい川面を、音もなくすうっと蛇が横切っていった。ひいている一筋の、ひときわ明るく見える水脈(みお)でそれと知れるのだ。それだけのことしか言ってはいないが、読者には川の雰囲気やそのあまやかな匂いまでが伝わってくる。なつかしい気までしてくる。芝不器男はトリビアルな素材を詠んで、その場の全体像を彷彿とさせる名人だった。つとに有名な「麦車馬に遅れて動き出づ」なども一例で、映画のスローモーション場面を見ているようである。これだけで麦秋の農村風景を書き切っている。不器男は愛媛の人。東京大学農学部や東北大学工学部で学んだが、いずれも卒業するにいたらず帰郷。1930年(昭和5年)に、二十七歳にも満たない若さで亡くなった。したがって句数も少なく、現在入手可能な本としては、飴山實が編んだ『麦車』(ふらんす堂・1992)の209句で全貌を知ることができる。(清水哲男)


June 1461998

 太初より昼と夜あり蛍狩

                           矢島渚男

者の夫人・矢島昭子さんに『山国の季節の中で』(紅書房・1998)という瀟洒なエッセイ集がある。信州での季節感に富んだ生活を折りに触れて綴ったもので、それぞれの文末には渚男の句が一句ずつ添えられている。この句は「蛍の頃」という文章に記されたものだ。「蛍火はどこかに忘れて来てしまった大切なものを思い出させてくれるような神秘の色だ。自分が生まれる前に出会ったような、夭折の天才たちが漂っているような、さまざまなことが湧いてくる」。ここで、文章と句がしっくりと照応している。ところで昭子夫人の子供の頃の蛍狩の思い出として「家の裏の葱畑から太そうな葱を一本折ってきて、それが蛍籠になる」とあるけれど、葱が蛍籠になるとは初耳だった。私の山口の田舎では、麦藁を編んで作るのが一般的だったが、工作の得意な友人は竹製のゴージャスな蛍篭を作ったりした。蛍狩にまつわるエピソードは多い。わが弟、小学生の昶が夢中になったあまりに、肥だめに転落した事件はいまだに語り草となっている。(清水哲男)




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