円安。グローバル・スタンダードな視点の欠落を外国は言う。どうすりゃいいのさ。




1998ソスN6ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2361998

 雨の日は傘の内なり愛国者

                           摂津幸彦

ういう句を読むと、俳句はつらいなと思う。愛国者の「主義主張」も「悲憤慷慨」も、しょせんは雨に濡れるのを嫌う普通の人々と同じ思考回路(傘)の内にある……。と、一つの読み方はこれでよいと思うが、しかし、ここでは肝腎の「愛国者」の顔がまったく見えてこない。あまりにも漠然としていて、つかみ所がないのである。こいつは、読者には大いに困る事態なのだ。なぜこうなるかは、もちろん俳句が短いという単純な理由によるわけで、作者の「愛国者」観は永遠に作者の内(傘の内)に閉じ込められたままとなっている。そこで読者としては、俳句お得意の取り合わせの妙があるかどうか、作者によって各自にゆだねられた「愛国者」観を通して、それを感じるしかないということになってしまう。作者の書き残した散文を読むと、単なる取り合わせだけに終わっている句を嫌悪しているが、そしてこの句は確かに「単なる取り合わせ」の殻を破ろうとしていることだけはわかるが、しかし結局は取り合わせで読まれるしかない不幸を構造的に背負ってしまっている。そんなハンデを百も承知で、なぜ摂津幸彦は俳句に執したのだろうか。句の「愛国者」をこれまた曖昧な概念の「売国奴」に入れ替えたとしても、作者のねらいは少しも変わらないのではないかと、私には思える。俳句は自由詩じゃない。だからこのように、誰かがつらいシーンを引き受けなければならない場合もあるということなのか。『奥野情話』(1977)所収。(清水哲男)


June 2261998

 屋上にサルビヤ炎えて新聞社

                           広瀬一朗

ルビアはブラジルが原産地だ。いかにも南国の花らしく、この花には可憐なところも、はかないところもない。したがって、まさか疎ましく思う人はいないだろうが、じっくりと観賞する人も少ないだろう。とにかく、ちっちゃなくせにやたらと元気で勢いがよろしい。そんな花を、作者は新聞社の屋上で見かけて、新聞社の仕事の勢いに似合っているなと合点したところだ。サルビアは、新聞社のような人の出入りが激しい建物の傍に植えられていることが多く、美術館や博物館、あるいは公共の施設などの花壇でよく見かける。生命力の強い多年草であり、花期も長いからであろう。ところで、この花の色はふつう緋赤である(和名を緋衣草というくらいだ)が、我が「花のアンチョコ」で調べてみたら、世界中に750種類ほど分布しているそうだ。色も多様で、緋赤以外にもピンクや紫、はては白色の花もあると書いてあった。白いサルビアか……。これだったら、可憐でもあり、はかない感じがするかもしれない。見てみたい。日本でも咲いているようだから、見たことがあるのかもしれないけれど、白色なのでサルビアとは思わなかった可能性はある。(清水哲男)

[東京新聞宇都宮支局・田島力氏からの情報提供] 品川駅港南口にある弊社(東京新聞)の屋上は人の出入りを想定していない、汚いアスファルト敷きの変哲もない場所でした。近くに食肉市場や汚水処理場があって悪臭が 絶えず、昼休みあたりに上がってくつろげるようなところではありませんでした。だれかが花の鉢を置いていたとは驚きです。私も一度思い屈したときに上がったことがあり、気を取り直してから職場に戻った記憶があります。広瀬氏がど んな思いで屋上に出てサルビアを見たのか、ふだん物静かだった方の激しい一面を見た思いがいたします。いま屋上は建て増し増築の五階となって、コンピュータールームに変じております。広瀬氏は平成6年9月に67歳で亡くなられました。


June 2161998

 どっちみち梅雨の道へ出る地下道

                           池田澄子

降りの日は地下道が混雑する。少々遠回りでも、なるべく雨を避けて歩きたい人が多いからである。かくいう私ももちろんその一人だが、しかし、句の言うように、いずれは雨の道に出なければならないのだ。そう思うと、わずかの雨を嫌がって地下道を歩いている自分が情けなくも滑稽に見えてくる。晴れている日と同じように、いつもの地上の道を真っ直ぐに行けばよいものを……。と、思いつつも、やはり地下道を選んで歩いてしまう。これが人情というものである。なお「どっちみち」は「いずれにしても」と「どっちの道」の二重の意味にかけてある。なんということもないような句だが、読者に「なるほど」と思わせる作者のひらめきは、なかなかどうして脱帽ものだ。自由詩では書けない世界である。いつか梅雨時の地下道で、この句を思い出して苦笑いする読者も少なくないだろう。「池田さんは正直に、デリケートに、またユーモアを秘めて時代と向き合っていると思う」(谷川俊太郎)。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)




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