「傘の花が開く」という。最近は文字通りに花開いている。黒い蝙蝠傘群よ、今何処。




1998ソスN6ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2461998

 蜜豆は豪華に豆の数少な

                           川崎展宏

党ではないのに、無性に蜜豆を食べたくなるときがある。寒天の口当たりが好きなのと、なんだか色々とゴチャゴチャ入っている様子が目に楽しいからである。蜜豆の豆は茹でた豌豆(えんどう)。ネーミングからすると豆が主役みたいだが、豆単体では美味とは言えず、要するに何が主役なのかわからない食べ物である。したがって「豪華に少ない」という形容矛盾は、蜜豆に限っては矛盾しないというわけだ。豆が少なく感じられるほどに、色とりどりの脇役(?)がどっさり入っている楽しさ。なるほど「豪華に少ない」としか言いようがない。作者の新発見である。つまり、詩である。蜜豆の句で有名なのは、山口青邨の「蜜豆の寒天の稜の涼しさよ」だ。なるほどと私も思うが、この人、そんなに蜜豆が好きではないような気がする。食べたいという気持ちよりも前に、よい句にしたいという気取りが透けて見えている。『義仲』(1978)所収。(清水哲男)


June 2361998

 雨の日は傘の内なり愛国者

                           摂津幸彦

ういう句を読むと、俳句はつらいなと思う。愛国者の「主義主張」も「悲憤慷慨」も、しょせんは雨に濡れるのを嫌う普通の人々と同じ思考回路(傘)の内にある……。と、一つの読み方はこれでよいと思うが、しかし、ここでは肝腎の「愛国者」の顔がまったく見えてこない。あまりにも漠然としていて、つかみ所がないのである。こいつは、読者には大いに困る事態なのだ。なぜこうなるかは、もちろん俳句が短いという単純な理由によるわけで、作者の「愛国者」観は永遠に作者の内(傘の内)に閉じ込められたままとなっている。そこで読者としては、俳句お得意の取り合わせの妙があるかどうか、作者によって各自にゆだねられた「愛国者」観を通して、それを感じるしかないということになってしまう。作者の書き残した散文を読むと、単なる取り合わせだけに終わっている句を嫌悪しているが、そしてこの句は確かに「単なる取り合わせ」の殻を破ろうとしていることだけはわかるが、しかし結局は取り合わせで読まれるしかない不幸を構造的に背負ってしまっている。そんなハンデを百も承知で、なぜ摂津幸彦は俳句に執したのだろうか。句の「愛国者」をこれまた曖昧な概念の「売国奴」に入れ替えたとしても、作者のねらいは少しも変わらないのではないかと、私には思える。俳句は自由詩じゃない。だからこのように、誰かがつらいシーンを引き受けなければならない場合もあるということなのか。『奥野情話』(1977)所収。(清水哲男)


June 2261998

 屋上にサルビヤ炎えて新聞社

                           広瀬一朗

ルビアはブラジルが原産地だ。いかにも南国の花らしく、この花には可憐なところも、はかないところもない。したがって、まさか疎ましく思う人はいないだろうが、じっくりと観賞する人も少ないだろう。とにかく、ちっちゃなくせにやたらと元気で勢いがよろしい。そんな花を、作者は新聞社の屋上で見かけて、新聞社の仕事の勢いに似合っているなと合点したところだ。サルビアは、新聞社のような人の出入りが激しい建物の傍に植えられていることが多く、美術館や博物館、あるいは公共の施設などの花壇でよく見かける。生命力の強い多年草であり、花期も長いからであろう。ところで、この花の色はふつう緋赤である(和名を緋衣草というくらいだ)が、我が「花のアンチョコ」で調べてみたら、世界中に750種類ほど分布しているそうだ。色も多様で、緋赤以外にもピンクや紫、はては白色の花もあると書いてあった。白いサルビアか……。これだったら、可憐でもあり、はかない感じがするかもしれない。見てみたい。日本でも咲いているようだから、見たことがあるのかもしれないけれど、白色なのでサルビアとは思わなかった可能性はある。(清水哲男)

[東京新聞宇都宮支局・田島力氏からの情報提供] 品川駅港南口にある弊社(東京新聞)の屋上は人の出入りを想定していない、汚いアスファルト敷きの変哲もない場所でした。近くに食肉市場や汚水処理場があって悪臭が 絶えず、昼休みあたりに上がってくつろげるようなところではありませんでした。だれかが花の鉢を置いていたとは驚きです。私も一度思い屈したときに上がったことがあり、気を取り直してから職場に戻った記憶があります。広瀬氏がど んな思いで屋上に出てサルビアを見たのか、ふだん物静かだった方の激しい一面を見た思いがいたします。いま屋上は建て増し増築の五階となって、コンピュータールームに変じております。広瀬氏は平成6年9月に67歳で亡くなられました。




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