飯島耕一『「虚栗」の時代』。宝井其角中心の本だが、西鶴に関わる叙述が面白い。




1998ソスN6ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2961998

 玉葱の皮むき女ざかりかな

                           清水基吉

が玉葱をむいている。いまが旬の玉葱は、つややかにして豊満である。その充実ぶりは台所に立つ女にも共通していて、作者は一瞬、まぶしいような気圧されるような気分になった。女と玉葱。言われてみると、なるほどと思う。色っぽい。まさに取り合わせの妙というべきだろう。ただし一方では、悲しいことに、人はおのれの「さかり」を自覚できないということがある。玉葱をむいているこの女性も、そんなことは露ほども感じていないだろう。さすれば句のように、いつも「さかり」は他人が感じて、その上で規定し定義する現象である。そういう目で見ると、この句は色っぽさなどを越えて、人が人として存在する切なさまでをも指さしているようだ。以下は蛇足。規定し定義するといえば、辞書や歳時記はそのためにあるようなものだけれど、こうした本で調べて、何かがわかるということは意外にも少ない。手元の歳時記で「玉葱」とは何かを調べてみよう。「直径九センチ、厚さ六センチぐらいの偏平な球形。多く夏に採取する。たべるのは鱗形で、内部は多肉で、特異の刺激性の臭気がある。初秋のころ、白色もしくは淡緑色の小花を球形につづる。わが国へは明治初年の渡来」(角川版『俳句歳時記新版』・1974)。玉葱を知らない人が読んだら、かえって何がなんだかわからない。で、知っている人が読んでも、玉葱の実物とはかなり違う感じを受けるだろう。もちろん、事は玉葱だけに関わる問題じゃない。どうして、こんなことになっちまうのか。(清水哲男)


June 2861998

 さみだれを集めて早し最上川

                           松尾芭蕉

っている人もいると思うが、この句の原形は「さみだれを集めて涼し最上川」であった。泊めてくれた船宿の主人に対して、客としての礼儀から「雨降りのほうが、かえって涼しくていいですよ」と挨拶した句だ。それを芭蕉は『おくのほそ道』に収録するに際して、「涼し」を「早し」と改作した。最上川は日本三大急流(あとは富士川と球磨川)のひとつだから、たしかにこのほうが川の特長をよくとらえており、五月雨の降り注ぐ満々たる濁流の物凄さを感じさせて秀抜な句に変わっている。ところで、実は芭蕉はこのときにここで舟に乗り、ずいぶんと怖い目にあったらしい。「水みなぎつて舟あやうし」と記している。だったら、もう少し句に実感をこめてくれればよかったのにと、私などは思ってしまう。単独に句だけを読むと、最上川の岸辺から詠んだ句みたいだ。せっかく(?)大揺れに揺れる舟に乗ったのに、なんだか他人事のようである。このころの芭蕉にいまひとつ近寄りにくい感じがするのは、こういうところに要因があるのではなかろうか。もしかすると「俳聖」と呼ばれる理由も、このあたりにあるのかもしれない。そういえば、実際にはおっかなびっくりの旅だったはずなのに、『おくのほそ道』の句にはまったくあわてているフシがみられない。関西では昔から、こういう人のことを「ええカッコしい」という。(清水哲男)


June 2761998

 泉辺の家消えさうな子を産んで

                           飯島晴子

島晴子はシンカーの名人だ。直球のスピードで来て、打者の手元ですっと沈む。この句で言えば、出だしの「泉辺の家」は幸福の象徴のように見える「けれん味のない直球」だが、つづいての「消えさうな」で、すっと沈んでいる。ここで、読者は一瞬戸惑う。そして、次の瞬間にはその鮮やかな沈みように感心する。「消えさうな」のは「家」でもあり「子」でもある。明暗の対比の妙。つまり作者の作句上のテーマは、常識的な情緒には決して流されないということだろう。見かけだけの明るさをうたっていたのでは、いつまでたっても俳句は文学的に生長していかない。人間の真実を深いところでとらえられない。そうした意識が作家の目を生長させた結果が、たとえばこの句に結実している。ひらたく言うと、飯島晴子のまなざしは常に意地が悪いとも言えるのである。天真爛漫など信じない目だ。もう一句。「幼子の肌着をかへる夏落葉」。これも相当に怖い作品だ。可愛いらしい幼子の周辺に、暗い翳がしのびよっている。『定本・蕨手』(1972)所収。(清水哲男)




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