「ハナキン」という言葉があった。思い返せば、物欲しげでみすぼらしい中身だ。




1998ソスN7ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0371998

 俤や夢の如くに西瓜舟

                           石塚友二

まには回顧趣味満点の句もいいものだ。俤(おもかげ)は、作者少年時代の初恋の人のそれである。舞台は「水の都」と言われていた頃の新潟だ。当時の(大正期の)様子を、作者は次のように書き記している。「堀割が縦横に通っていた時分の新潟は、そこが舟の通路でもあったから、夏は西瓜を積んだ舟が通り、主婦や女中といった人達がそれを買うべく岸の柳の下に佇む風景が見られたものである。また夕刻には褄取った芸者達の柳の下を縫いながらお座敷へ行く姿もあった」。この様子からして情緒纏綿……。年経た作者(六十九歳での作句)の回顧趣味を誘いだすには、絶好の舞台装置である。なお、俤の人のその後の消息についても若干の記述があり、句そのものが触発する情緒には無関係であるが、こういうことであったようだ。「それから凡そ五十年後、ふとしたことからその人の消息を聞かされた。若くして結婚したが、良人との関係が巧く行かず、三十歳を過ぎたばかりで自殺し世を去った、と」。ちなみに「西瓜」は「南瓜」とともに秋の季語とされている。現代ではどうかと思うが、特に受験生諸君は注意するように(笑)。『自選自解・石塚友二句集』(1979)所収。(清水哲男)


July 0271998

 夕顔の男結の垣に咲く

                           小林一茶

集をめくっていて、ときどきハッと吸い込まれるような文字に出会うときがある。この場合は「男結(おとこむすび)」だ。最近はガムテープやら何やらのおかげで、日常的に紐を結ぶ機会が少なくなった。したがって「男結」(対して「女結」がある)という言葉も、すっかり忘れ去られてしまっている。が、たまに荷造りをするときなどには、誰もが男結びで結ぶことになる。ほどけにくい結び方だからだ。つい四半世紀前くらいまでは、言葉としての「男結」「女結」は生きていたのだから、それを思うと、私たちの生活様式の変わりようには凄まじいものがあって愕然とする。さて、肝腎の句意であるが、前書に「源氏の題にて」とあるので、こちらはおのずからほどけてくる。「夕顔」は源氏物語のヒロインのひとりで、十九歳の若さで急死した女性だ。彼女の人生のはかなさと夕顔の花のそれとがかけられているわけで、光源氏を「男結」の男に連想したところが、なんとも憎らしいほどに巧みなテクニックではないか。考えてみれば、一茶が見ているのは、単に垣根に夕顔が咲いている情景にすぎない。そんな平凡な様子が、名手の手にかかると、かくのごとくに大化けするである。俳諧、おそるべし。中村六郎校訂『一茶選集』(1921)所収。(清水哲男)


July 0171998

 夏痩せて豆腐一丁の美食思う

                           原子公平

べなければいけないと思うと、かえって食べたくなくなる。そしてふと、こういうことを思いついたりする。「豆腐一丁の美食」とは、何かの逸話か故事を踏まえているのかもしれない。このように、消滅の方向に向いた極端には「美」がある。しかし、ダイエットにはない。ダイエットは、一見肉体を滅ぼす行為に見えるが、結局は自己の消滅を望んではいないからである。消滅どころか再生を欲望する企みにすぎないからだ。ところで豆腐といえば、江戸天明期に『豆腐百珍』という本が出版されている。豆腐料理のレシピ集だ。最近入手した現代語訳本(京都山科・株式会社「大曜」刊)で見てみると、それぞれの料理には「尋常品」「通品」から「妙品」「絶品」まで六段階のランクづけがあって、眺めているだけで楽しい。夏痩せとも「美」とも関係なく、つくって食べてみたくなってしまう。ここで「絶品」のページから「辛味とうふ」の作り方をお裾分けしておこう。試したわけではないので責任は持てないが、うーむ、こいつは相当に辛そうですぞ。酒肴でしょうね。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)

[辛味とうふ]かつおの出し汁に、うす醤油で味をつけ、おろし生姜をたくさん入れます。たっぷりした出し汁で、豆腐を一日中たきます。豆腐一丁につき、よく太った一握りほどの生姜を十個ほど、おろして入れるとよいでしょう。




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