1998N710句(前日までの二句を含む)

July 1071998

 ぬけおちて涼しき一羽千羽鶴

                           澁谷 道

は、全国的に千羽鶴の出番だ。高校野球のベンチには、すべといってよいほどに千羽鶴がかけられている。お百度参りなどと同じで、累積祈願のひとつだ。祈りをこめて同一の行為を数多く繰り返すことにより、悲願達成への道が開けるというもので、現代っ子にも案外古風なところがある。しかも、千羽鶴の場合は行為の結果が目に見えるということがあるので、人気も高いのだろう。ただし、千羽鶴は見た目には暑苦しいものだ。多種の色彩の累積は、とても涼しくは見えない。作者はそこに着目して、何かの拍子に落ちてしまった一羽を詠んでいる。言われてみると、なるほどこの一羽だけは涼しげではないか。「哀れ」という感性ではなく「涼し」という感覚でつかまえたところが、凡手ではないことをうかがわせる。澁谷道は医学の人(平畑静塔に精神神経科学を学ぶとともに俳句を師事)だから、安手なセンチメンタリズムに流されることがなく、独特の詩的空間をつくってきた。この千羽鶴も、たぶん入院患者のためのものだろう。が、高校野球のベンチの光景などにもつながる力と広がりをそなえている。『藤』(1977)所収。(清水哲男)


July 0971998

 鼻さきに藻が咲いてをり蟇

                           飴山 實

の花の咲いている池の辺で、作者は蟇(ひきがえる)を見つけた。蟇は俳人と違って風流を解さないから、鼻先に藻が咲いていようと何が咲いていようと、まるで意に介さずに泰然としている。当たり前の話ではあるが、なんとなく可笑しい。グロテスクな蟇も、ずいぶんと愛敬のある蛙に思えてくる。このあたりの技巧的表現は、俳句ワールドの独壇場というべきだろう。蟇の生態をつかまえるのに、こんなテもあったのかと、私などは唸ってしまった。なお、蝦蟇(がま)は蟇の異名である。蟇の研究をしている人の本を読んだことがあるが、彼らの世界には一切闘争という行為はないそうだ。そして、親分もいなければ子分もいない。私たち人間からすれば、まさに彼らは「ユートピア」の住人であるわけだが、数はどんどん減少しているという。誰が減らしているのかは書くだけ野暮というものだけれど、最近では確かに、滅多にお目にかかる機会がない。戦前のエノケンの歌の文句に、財布を拾ってやれ嬉しやと、明るいところでよく見てみたら「電車に轢かれたひきがえる……」というのがあった。それほどに、都会にもたくさん彼らはいたということである。『辛酉小雪』(1981)所収。(清水哲男)


July 0871998

 でで虫や父の記憶はみな貧し

                           安住 敦

生、小さな殻に閉じこもって生きる「でで虫(蝸牛)」。雨露をなめ、若葉を食べる。それが父親の貧苦の生涯を連想させるのである。作者に語ってもらおう。「中学の卒業式に、父は古いモーニングを着て参列した。わたくしは総代として答辞を読んだ。式が終わると親子は一緒に校門を出、通りがかりの蕎麦屋へ上って天ぷら蕎麦を食べた。お前、大学へいきたかったんだろうね、と父は思い出したように言った。でもいいんですよ、とわたくしも素直に答えた。済まないね、といって父は眼をしばたたいた。わたくしの思い出のうち最もさびしい父の姿だった」。大正十五年(1926)三月の話。したがって、卒業したのはもちろん旧制中学(東京・立教中学)だ。作者は十八歳。父親に対して「いやいいんですよ」というていねいな言葉づかいが、当時の父子の距離感を表している。私も、両親に対してはほとんどこのような言葉づかいで通してきた。親が率先して友だちのように振る舞うようになったのは、ほんの最近のことだ。教師においても、また然り。どちらがよいとは言えないけれど、親子の距離は自立への道の遠近を暗示しているようには思える。『暦日抄』(1965)所収。(清水哲男)




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