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July 1571998

 扇子低く使ひぬ夫に女秘書

                           藤田直子

かの用事で会社の夫を訪ねたのだろう。重役室か部長席か、秘書がいるのだから、夫の地位は相当に高いと知れる。そして、その女秘書は作者よりもだいぶ若いし美人でもある。見るともなく見ていると、仕事ぶりもてきぱきしている。で、使っている扇子の位置が自然に普段よりも低くなったというのだが、これはまた実に見事な心理描写だ。「扇子低く使ひぬ」とは、何のためなのか。女秘書に対して、それからその場にいる夫に対しても、自分の存在を少しでも大きく強く認識させようとしたためである。そんなことくらいで存在を大きく強くアピールできるわけもないのだが、そこはそれ、人間心理の微妙なところではあるまいか。共に働く女秘書と夫に対する軽い嫉妬の心が、思わずも扇子を低く使う仕草に表われていたというわけだ。しかも、その心理と仕草を覚えていてこのように書きとめた作者の腕前は、たいしたものだと思う。凡手は、ここを見逃す。見逃して、蝶よ花よとあたりを見回す。あえて見回さなくても、俳句の素材はみずからの心理や行為のうちにいくらでもあるし、発見できるというサンプルみたいな作品だ。うわぁ、説教臭くなっちゃった。『極楽鳥花』〔1997〕所収。(清水哲男)


June 0662002

 扇置く自力にかぎりありにけり

                           上田五千石

語は「扇(おうぎ)」で夏。中国の団扇(うちわ)に対して、平安時代はじめに日本で考案されたのだそうだ。さすがと言おうかやはりと言おうか、コンパクト化の得意な國ならではの発明品である。それはともかく、掲句は「自力」に「かぎり(限り)」のあることを、さしたる重さを感じさせない扇を媒介にして言ったところが面白い。字句通りにすらりと理解すれば、作者は「扇置く」ときに、いささかの重さを感じて、その重さから自分の持てる力の限界を連想したことになる。扇ならまだ楽々と持ったり置いたりすることはできるけれど、他方、自力ではどうにもならない重いものが存在することに素早く思いがいたり、すなわち人の力には限界ありと納得したのだ。むろん、このように読んでよい。ちゃんと、そう書いてあるのだから。しかし私には、句がもっと別のことを言っているように写る。むしろ、反対に近いことを言っているのではあるまいか。つまり、作者は扇を扱う以前に、たぶん精神的な「かぎり」に追いつめられるような状態があって、そこでたまたま扇を置いたときに閃いた句ではないのだろうか。自力の「かぎり」に懐疑的なままで、一応の自己説得のために「ありにけり」の断定を置いてみたという感じ。前者と読めば、句の中身はさながら格言のようにふっきれる。後者だと、たかが扇を置くくらいではふっきれない何かが依然として残る。「自力」の可能性を前者のようにすぱりと割り切られては困るという、私のへそ曲がり的な読みにすぎないのかもしれないけれど。『俳句塾』(1992)所収。(清水哲男)


July 2072003

 扇子の香女掏摸師の指づかひ

                           佐山哲郎

ろん「掏摸(すり)師」は立派な犯罪者だ。ただ空巣や強盗とは違って、昔から変な人気がある。というのも、常人にはとても真似のできない指技を、彼らが習得しているからだろう。フィクションの世界では、美貌の女掏摸師がよく活躍する。時代物では、擦れ違った瞬間に目にもとまらぬ早業で掏摸取った懐中物を手に、艶然と微笑する姿が定番でもある。犯罪者ではあるけれど、正義の味方の味方だったりする役どころはフィクションならではだが、これもやはり芸術的な指技を惜しんでの作者の人情からではあるまいか。掲句の女掏摸師ももとよりフィクションだけれど、そんな掏摸師に「扇子」を使わせたところが面白い。なるほど手練の掏摸師ともなると、扇子のあおぎようにだって微妙な指技が働くにちがいない。したがって、送られてくる「扇子の香」にもまた普通とは違うものがあるだろう。この句は、かつての都電の情景を系統別に詠んだ「都電百停」のなかの一句(33系統 信濃町)だから、いわば現代劇の一シーンだ。私の若い頃、ロベール・ブレッソン監督の映画『掏摸』(1960)を見た後の何日かは、街にいると、誰も彼もが掏摸に思えて仕方がなかったようなことがあった。その映画には、掏摸の手口が具体的に生々しく公開されていたので、余計にそんな気分にならされたと思うのだが、作者のこの発想も、何らかのフィクションに触発されてのことかもしれない。作者は単に、走る都電の中で扇子を使う女性客を見かけただけだ。それをあろうことか掏摸師に見立てたせいで、おそらくは俳句にはじめての女掏摸師が登場することになった。そんな自分だけの想像のなかの相手に、ちょっと身構えているようなニュアンスもあって可笑しい。でも、これからの行楽シーズン、本物の掏摸にはご用心を。我が家の短い歴史のなかでも、これまでに二度、芸術的な指技の餌食になっている。『東京ぱれおろがす』(2003)所収。(清水哲男)


June 2662004

 高階や扇子たれかを待つうごき

                           大塚千光史

気なく見上げた「高階」の人。高層の団地かマンションあたりでのことだろう。高くて顔はよく見えないけれど、佇んでしきりに「扇子」を使っている。べつに訝しく思ったわけではないが、使い方にどこか苛々しているような「うごき」がある。ああそうか、きっと誰かを待っているんだなと納得した句だ。誰にでも日常的に、こんなふうに些細なシーンの意味を納得することはあるにしても、それを句に書きとめるのはなかなかに難しいだろう。上手いものだ、達者なものである。この場合、作者に詠まれた人は作者の目を意識してはいない。が、逆に他人の目を意識したときに、しばしば私たちは自分の「うごき(しぐさ)」でその人にメッセージを送る場合がある。訝しく思われるかもしれないという思いが、頼まれもしないのにそうさせるのだ。昨日の午後、マンションの出口のところに住人の主婦が何をするでもなくぽつんと立っていた。足音で私に気づいた彼女は、それまでの所在ない姿から一転し、盛んに首を伸ばしては遠くの十字路の方を見やりだしたのである。つまり、私はここで誰かを待っているのですよというメッセージを私に発信しはじめたわけだ。会釈して通りすぎようとしたときに、私たちの前には豆腐屋の小さな車がすうっと現れて止まったのだった。主婦が待っていたのは、これである。「遅いじゃないの」という弾むような彼女の声。なんだかアリバイが証明された人みたいな調子に聞こえて、可笑しかった。もしも句の「高階」の人が作者に気づいたとしたら、他にどんな「うごき」を加えだろうか。つい、そんなことにまで連想を伸ばしてしまった。『木の上の凡人』(2002)所収。(清水哲男)


July 2972013

 横にして富士を手に持つ扇かな

                           幸田露伴

士山が世界文化遺産に登録されたことを記念して、「俳句」(2013年8月号)が「富士山の名句・百人百句」(選・解説=長谷川櫂)を載せている。掲句は、そのなかの一句だ。ゆっくり読み下していくと、富士山を横抱きにするなどは、どんな力持ちかと思えば、なあんだ扇に描かれた富士山だったのかという馬鹿馬鹿しいオチになっている。作り方としては都々逸と同じだ。長谷川櫂はこの句を「江戸文化にあこがれた文人の句」として紹介し、江戸時代の人々は富士に仲間のような親しさを覚えていたと書く。それが明治期になると富士は大日本帝国の象徴となってしまい、この句のような通俗性とは無縁の存在として「君臨」するようになった。そうした風潮へのいわば反発としてこの句をとらえると、馬鹿馬鹿しさの向うに、露伴の切歯扼腕的な息遣いが漏れてくるようで、面白い。世界遺産登録に大喜びしているいまどきの風潮のなかにこの句を放り込んでみると、そこにはまた別の皮肉っぽいまなざしが浮んでくる気がする。「富士山に二度登る馬鹿」と言ったのは、いつごろの時代の人だったのか。私は二度登った。(清水哲男)


June 1162014

 月山の水に泳げや冷奴

                           丸谷才一

と水と冷奴ーー文字づらからして、涼味満点と言っていい夏の句である。敢えて「夏は冷奴にかぎる」と、この際言わせてもらおう。月山の名水に月のように白く沈む冷奴は、いかにもおいしそうである。詞書に「うちのミネラル・ウォーターは『月山ブナの水音』といふ銘柄」とあるから、作者が愛飲していた故郷の水であろう。月山を源流とする庄内の立谷沢川は“平成の名水百選”であり、水も冷奴もいかにもおいしそうだ。「泳げや冷奴」とは「泳げや才一」という、自身への鼓舞の意味と重ねているようにも私には思われる。才一は山形県鶴岡出身の人。ここでは名水を得て泳ぐ冷奴が喜々としているように映る。そういえば、山形で私も何度か食べた豆腐は、冷奴に限らずいつもおいしかった記憶が残っている。水が上等だから豆腐もおいしいわけである。掲句は第一句集『七十句』に継ぐ遺句集『八十八句』(2013)に収められている。長谷川櫂の選句により、104句が収められた非売品。才一の俳号が「玩亭」だったところから、墓碑銘も「玩亭墓」。他に「ばさばさと股間につかふ扇かな」の句がある。(八木忠栄)




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