自民党総裁選に関心を持っている人が多い。短命内閣よりは「選挙管理内閣」を。




1998ソスN7ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2271998

 あきなひ憂し日覆は頭すれすれに

                           ねじめ正也

者はこのころ、高円寺〔東京・杉並〕商店街で乾物商を営んでいた。商品に日があたらないように、夏場はぐうんと店の日覆いを下げるのである。背の高い通行人だと、少しかがむようにしなければ店内の様子が見えないほどだ。なんとも、うっとおしい感じになる。それはしかし、店内で商売をしている人にとっても同じことで〔いや、それ以上だろう〕、夏は物が売れないこともあり、うっとおしさは増すばかりだ。頭すれすれの日覆いにさえ、つい八つ当たりしたくもなろうというもの。そこで、何の用事もないのに日覆いをくぐって表へ出てみると「炎天の子供ばかりの路次に出づ」ということになるわけで、憂鬱は募るばかりである。この句は『蠅取リボン』〔1991〕から引用したが、息子さんの作家・ねじめ正一君とのご縁で、私が拙い文章を添えさせてもらった句集だ。私はこの句ができたころ〔だろう〕に高円寺北のアパートに住んでいて、ねじめ乾物店では一度買い物をした覚えがあるが、残念ながら直接作者から買ったのかどうかは定かではない。(清水哲男)


July 2171998

 扇風機蔵書を吹けり司書居らず

                           森田 峠

った一人の司書がとりしきっている小さな図書館。作者は高校教師だったから、学校の図書室だろう。1981〔昭和56〕年の作品ということからしても、冷房装置のない図書館は他には考えられない。そんな暑い図書室に来る生徒はめったにいないので、いつも閑散としている。作者が本を借りようとしてカウンターに行ったところ、司書用の扇風機がまわっているだけで、姿が見えない。部屋にいるのが教師なので、彼は安心して少しの間席を外したのだろう。カウンターの背後には辞典や画集などの貴重本が並べられており、涼しげに扇風機からの風に吹かれている。窓の外からは、練習に励む野球部員たちの声…。学校の夏の図書室の雰囲気は、だいたいこういったものである。昔の公共図書館も同様で、この季節はあまり人気がなかった。ところが、最近の町の図書館は様相が一変してしまい、大にぎわいだ。ほどよく冷房はきいているし、おまけに静かだから、大いに混み合いだした。なかには昼寝の場所と心得ているとしか思えない人もいて、なかなかテーブルがあかないのには困る。はやく完璧な電子図書館ができてくれないものかと、勤勉な〔笑〕私が切に願うのがこの時期である。『逆瀬川』〔1986〕所収。(清水哲男)


July 2071998

 地図の上に子らと顔よせ夏休

                           上野巨水

あ夏休みだ、今年はどこへ行こうか。こんなふうに、夏休みと旅行とが結びつくようになったのは何時ごろからだったろう。「余暇の活用」などと言われはじめたのが三十数年ほど前。気運としてはそのころからあったのだろうが、実際にはここ四半世紀のことと思われる。戦前は知らないが、私の若いころには「夏は、どちらへ」という挨拶はなかった。旅があるとすれば、盆などで故郷に帰ることくらいだった。この句の発表年代は不明〔平井照敏編『新歳時記』所載〕だが、おそらくは四半世紀前くらいだろうと推定できる。つまり、こうした親子の情景が新鮮であった時代ということだ。当時は、この句を読んで羨ましくも微笑ましいと感じた読者が多数いたにちがいない。逆にトーンは抑えてあるが、作者の得意を思うべし。この句が昨日今日作られたものだったら、平凡すぎて話にもならない。まことに「歌は世につれ」るものである。そんな理屈はともかく、夏休みがはじまった。この、はじまったと思うときがいちばん楽しい。願わくば、ずうっと楽しい夏休みでありますように。(清水哲男)




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