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July 2471998

 三日月の匂ひ胡瓜の一二寸

                           佐藤惣之助

い。パッと見せられたら、誰もがウムと唸る句だろう。ほのかに匂うような三日月を指して、一二寸の胡瓜のそれに似ていると言うのである。作者の才気煥発ぶりを感じさせられる。だが、この句には下敷きがある。一枚目のそれは其角の「梅寒く愛宕の星の匂かな」であり、二枚目のそれは芭蕉の「明ぼのやしら魚しろきこと一寸」である。下敷きがあっても構いはしないが、下敷きを知っている人には、どうしても原句にあるのびやかさが気になって、この句の空間が狭く思われてしまう。止むを得ないところだ。ところで、佐藤惣之助はご存じ「赤城の子守歌」〔東海林太郎・歌〕など多くのヒット歌謡曲を書いた人で、いわば「殺し文句の達人」であった〔自由詩の詩人としても実績がある〕。この句も、実に小気見よく決まっている。いつの時代にも、またどんなジャンルにあっても、クリエイターが大衆に受け入れられるための条件のひとつは「換骨奪胎」の巧みさにあるようで、かつて一度も登場したこともないような新しい表現物は確実に置いてきぼりにされてしまうのが常である。ただし、問題はそうしたことを苦もなくやってのけられる才能の側にもないわけではなくて、詩人としての佐藤惣之助が忘れられようとしているのは、たぶん、そのあまりにも巧みな「換骨奪胎」による「殺し文句」のせいであろうかと思われる。溢れ出る才能にも、悲しみはある。(清水哲男)


September 3092004

 菊膾淡き一夜の人なりし

                           佐藤惣之助

語は「菊膾(きくなます)」で秋。菊の花びらを茹で、三杯酢やからしあえで食べる料理。食用の菊は東北地方に多く栽培されており、はじめて山形に行ったとき、八百屋の店先で大量に売られているのを見て「なんだろう」と思った記憶がある。こういう句を作らせると、さすがは歌謡曲(「湖畔の宿」「人生の並木道」「緑の地平線」など)で名声を馳せた作者だけあって、実に巧いものである。「淡き」は「菊膾」と「一夜の人」両者に掛けられており、いま膳に出された菊膾を前にして、かつて愛した女性との甘美な思い出にしばし浸っている図だ。「一夜の人」とはまことに思わせぶりな言い方だが、そこが惣之助らしいところで、二人の間に何があったか無かったかなどという下衆のカングリは無用である。淡さも淡し、これ以上無い二人の浅きえにしが、菊膾の風合いを見事に言い当てている。それだけでよいのである。惣之助は少年期から俳句に親しみ、二十代で高村光太郎、福士幸次郎、千家元麿らと詩を書きはじめたが、現在では詩人としての評価はほとんど無いと言ってよい。象徴派の詩人であった西条八十がそうであるように、あまりにも大衆歌謡で有名になりすぎた結果だろうか。全集はおろか全詩集もないことを思うと、なんだか痛ましい気がする。ちなみに阪神タイガースの応援歌「六甲颪」も、この人の作詞だ。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 27102010

 寺の前で逢はうよ柿をふところに

                           佐藤惣之助

この寺の前で、何の用があって、いったい誰と「逢はう」というのか――。「逢はうよ」というのだから、相手は単なる遊び仲間とか子どもでないことは明解。田舎の若い男女のしのび逢いであろう(「デート」などというつまらない言葉はまだ発明されていなかった)。しかも柿という身近なものを、お宝のように大事にふところにしのばせて逢おうというのだ。その純朴さがなんともほほえましい。同時にそんなよき時代があったということでもある。これから、あまり人目のつかない寺の境内のどこかに二人は腰を下ろして、さて、柿をかじりながら淡い恋でも語り合おうというのだろうか。しゃれた喫茶店の片隅で、コーヒーかジュースでも飲みながら……という設定とはだいぶ時代がちがう。大正か昭和の10年代くらいの光景であろう。ふところは匕首のようなけしからんものも、柿やお菓子のような穏やかなものもひそむ、ぬくもった不思議な闇だった。掲句の場合の柿は小道具であり、その品種まで問うのは野暮。甘い柿ということだけでいい。柿の品種は現在、甘柿渋柿で1000種以上あるという。惣之助は佐藤紅緑の門下で、酔花と号したことがあり、俳誌「とくさ」に所属した。句集に『螢蠅盧句集』と『春羽織』があり、二人句集、三人句集などもある。他に「きりぎりす青き舌打ちしたりけり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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