必要があって、『星の王子さま』を読み返した。呑み助の星の話が、昔から好きだ。




1998ソスN7ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2771998

 向日葵や起きて妻すぐ母の声

                           森 澄雄

休みの朝は、普段とは違う独特の雰囲気がある。学校のない子供らはいつまでも寝ているし、親の日常ペースも狂いがちだ。この句の妻も、いつもよりは遅く起きたのだろう。雨戸を開け放つと、庭の向日葵にはすでに陽光がさんさんと降り注いでいる。もう、こんな時間……。妻はいきなり「母の声」になって、作者と子供らを起こしにかかる。そんな情景だ。半身を起こした作者に向日葵はいかにもまぶしく見え、それが「母の声」と見事にマッチしているなと感じている。そしてこの句の背景には、ささやかにもせよ、一家の生活の安定が感じられる。みんな元気だし、とりあえず思い煩うこともない。作者のこの安心感が、読者をも安心させるのである。この句が載っている『花眼』〔1969〕には敗戦後10年くらいからの句作が収録されており、ということは、人々の生活がようやく落ち着きを取り戻そうとしていた時期にあたるわけで、その意味からして「向日葵」の扱いも利いていると思う。「向日葵」だなんて暑苦しいばかりだという時代が、ついこの間まであったのだから。(清水哲男)


July 2671998

 無人島の天子とならば涼しかろ

                           夏目漱石

まり詮索しないほうがいいだろう。苦笑か微笑か、それが浮かんだところで終わりである。作者自身も、この句を書き送った井上藤太郎〔熊本の俳人、「微笑」と号した〕に、「近頃俳句などやりたる事もなく候間頗るマズキものばかりに候」と言っている。明治36〔1903〕年の句だから、ロンドンから戻ってきた年だ。同じ夏に「能もなき教師とならんあら涼し」もあるから、これからの東京帝大での教師生活がイヤでたまらなかったものと思われる。だいたい、いいトシをした男が「無人島」などと言い出すときには、ロマンチシズムのかけらもないのであって、たいていが現実拒否の感情が高ぶった結果の物言いなのである。その意味からすると、相当に不機嫌な句だ。「涼し」どころか、暑苦しい。詮索無用といいながら、思わずも詮索をはじめてしまった〔苦笑〕が、これは私の別の意味での不機嫌による。さきほど、たまたま開いた花田英三の新しい詩集『島』〔夢人館・1998〕は、こんなフレーズではじまっていた。「生きていくのに大事なことは/嫌なら他所へ行くことだ/俺が行きたいのは/架空の島」〔「旅でなく」〕。(清水哲男)


July 2571998

 暗く暑く大群衆と花火待つ

                           西東三鬼

火を待つのも句のように大変だが、打ち上げるほうは商売とはいえ、もっと大変だ。父が花火師だったので、よく知っている。両国の花火大会で言うと、打ち上げ船への花火の積み込みは正午までに終わらなければならない。それから仕掛けなどの準備を行う。炎天下、防火服を着ての作業だ。準備が完了しても、何人かは日覆いもない船に残る。19時10分から打ち上げ開始。その様子を、父は次のように書きとめている。「数百の小玉がいっせいに上がり、パリパリパリッといっせいに開花する。みんなは船板にはうように身をかがめ、じっと我慢する。そのうち火の粉や燃えかすがザーバラバラバラッと、われわれや防火シートの上に襲いかかる。燃えながらシートを直撃するのもある。これは恐ろしい。もし突き抜ければ、下にあるたくさんの連発が一度に発火し、大火災をおこすことになるからである。はじかれたようにみんなは起き上がり、バケツや火たたきでけんめいに火とたたかう。全部退治すると息つく暇もなく、次の仕掛の準備にかかる。火薬のついたものが露出するので、この間絶対に花火の演出はしないことになっている。連発の終わったものを片づけ、次の台を据えつけ速火線で連絡する。こうしたことを十回くらい繰り返す。暗がりで懐中電燈を照らしての仕事であるから、なかなか骨の折れることであった」〔清水武夫『花火の話』河出書房新社〕。(清水哲男)




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