August 061998
東京と生死をちかふ盛夏かな
鈴木しづ子
幻の俳人の句。前書に「爆撃はげし」とあるから、戦争も末期の句だ。このとき作者は二十代前半である。工作機械を製造する会社に、トレース工として勤めていた。解説するまでもない句だが、気性の激しい軍国少女の典型的な表情が浮かび上がってくる。当時の婦人雑誌の表紙をかざっていた、工場などで鉢巻き姿で働く女性の表情を思い起こさせる。「ウチテシヤマム」の心意気なのだ。決して上手な句とは言えないけれど、一度心に決めたら梃子でも動かぬ女性のありようが胸に響く。とても美しいひとだったらしい。「夫ならぬひとによりそふ青嵐」の句にも見られるように、恋多き女性だったことでも有名だったようだ。したがって、ずいぶんと俳壇ジャーナリズムにももてはやされていたというが、1959年に句作を中断した後に、ふっつりと消息がつかめなくなった。現在も、わからないままである。もちろん生死のほども不明で、存命であれば今年で79歳だから、お元気でおられる可能性は高い。一度心に決めたら梃子でも動かぬ気性を、この日本のどこかで貫いておられるのだろう。『春雷』(1952)所収。(清水哲男)
April 201999
ノートするは支那興亡史はるの雷
鈴木しづ子
春雷(しゅんらい)。夏の雷と違って激しくはなく、一つか二つで鳴り止むことが多い。自然が少しでも轟くと、人間はちょっぴり疼くという独特の情感。「支那」とあるから、もちろん戦後の句ではない。「支那」と言い張ってきた現代の人である石原慎太郎は、都知事に当選した後で「もう言わない」と言ったようだが、私が子供だったころには「支那」という大人がほとんどだった。「支那」の呼称が正式に「中華民国」に変更されたのは、1930年10月29日のことだ。にもかかわらず、日本人はしつこく「支那」と言いつづけた。侮蔑の表現として、だ。恥ずかしい。句の「支那」は書物のタイトルだからどうしようもないけれど、中国の権力の興亡の歴史を夢中になって書きとめている作者の耳に、ふと遠くで鳴る雷の音が聞こえてきた。ノートしていたところが、ちょうど風雲急を告げるような場面だったのだろう。遠い歴史のストーリーに現在ただいまの自然の急変が混ざり合って、胸を突かれる思いになったというところか。コピー機の普及したいまでは、こうした情感も失われてしまった。ところで、作者は「幻の俳人」と言われて久しい。戦後間もなく矢継ぎ早に二冊の句集を出して俳壇の注目を集めたが、その後はぷっつりと沈黙してしまい、このほど立風書房から出た『女流俳句集成』にも「生死不明」とある。1919年(大正8年)生まれだから、ご存命である確率は高いのだが。『春雷』(1946)所収。(清水哲男)
October 141999
ものかげに煙草吸ふ子よ昼の虫
鈴木しづ子
たとえば「娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ」などと奔放に書いた作者の、もう一つの顔はこのようであった。人にかくれて煙草を吸う少年、あるいは少女。チッチッと弱々しげな昼の虫の音が「ものかげ」から聞こえてくる。めったに姿を見せない鉦叩(かねたたき)の類だろうか。作者によって「子」と「虫」がこのように切り取られたとき、その相似性が語るものは、生きとし生けるものなべての哀れさであろう。ただし注目すべきは、作者がどこかでこの「哀れ」を楽しんでいる気配のうかがえるところだ。自虐の深さまでには至っていないが、この気分が昂揚すると娼婦句の世界へとつながっていくのだと思われる。『女流俳句集成』(1999・立風書房)の年譜によれば、鈴木しづ子は1919年(大正8年)東京神田生まれ、東京淑徳高等女学校卒。松村巨愀の主宰誌「樹海」に出句し、戦後間もなくは各務原市に住んで二冊の句集を出版したが、その後はぷつりと消息を断ってしまった。現在に至るも、生死不明という。第一句集『春雷』(1946)所収。(清水哲男)
April 282004
夏みかん酸っぱしいまさら純潔など
鈴木しづ子
季語は「夏みかん(夏蜜柑)」。夏に分類している歳時記もあるが、熟してくる仲春から晩春にかけての季語としたほうがよいだろう。これからの季節に白い花をつけ、秋に結実し、来春に熟して収穫される。句は、戦後彗星のように俳壇に登場し、たちまち姿を消した「幻の俳人」鈴木しづ子の代表作として有名だ。朝鮮戦争が激化していたころの作品である。つまり戦後まもなくに詠まれているわけだが、当時の読者を驚かすには十分な内容であった。いかに戦前の価値観が転倒したとはいえ、まだまだ女性がこのように性に関する表現をすることには、大いに抵抗感のある時代だった。良く言えば時代の先端を行く進取の気性に富んだ句だが、逆に言えば蓮っ葉で投げやりで自堕落な句とも読めてしまう。そして、多くの読者は後者の読み方をした。いわゆる墜ちた俳人としての「しづ子伝説」を、みずから補強する結果となった一句と言えるだろう。最近出た江宮隆之の『風のささやき』(河出書房新社)は、そうした作者をいわれ無き伝説の中から救い出そうと奮闘した小説だ。実にていねいに、しづ子の軌跡を追っている。本書の感想は別の場所に書いたので省略するが、著者は掲句の成立の背景には朝鮮戦争があったことを指摘している。当時のしづ子は米兵と恋愛関係にあり、出撃していくたびに彼の安否を気遣うという暮らしであった。だから、彼女は自分の純潔や純潔感を恥じたのではない。戦争の巨大な不純を憎んだがゆえに、「いまさら(世間が)純潔など」を言い立てて何になるのかと、そんな思いを込めて詠んだのだという。しかし特需景気に湧いていた世間は戦争の不純には目もくれず、作者の深い哀しみにも気がつかず、単なる自堕落な女の捨てぜりふと解したのだ。俳句もまた時代の子である。私たちが同時代俳句を読むときにも、心したいエピソードだと思った。『指輪』(1952)所収。(清水哲男)
January 072008
売春や鶏卵にある掌の温み
鈴木しづ子
敗戦後まもなくの句。この「鶏卵」は、客にもらったものだろう。身体を張った仕事と引き換えに、当時は貴重で高価だったたまごを得た。まだ客の掌の温みの残ったたまごを見つめていると、胸中に湧いてくるのは限りない虚脱感と自己憐憫の哀感だ。フィクションかもしれないし、事実かもしれない。しかし、そんなことはどうでもよいことだ。ここに現れているのは、戦後の飢餓期にひとりで生きなければななかった若い女性の、一つの典型的な心象風景だからである。もはや幻の俳人と言われて久しい作者については多くの人が言及してきたが、私の知るかぎり、最も信頼できそうなのは『風のささやき しづ子絶唱』(2004・河出書房新社)を書いた江宮隆之の言説である。この本の短い紹介文を書いたことがあるので、転載しておく。「その作品は『情痴俳句』とハヤされ、その人は『娼婦俳人』と好奇の目を向けられた。敗戦直後の俳壇に彗星のように現われ、たちまち姿を消した俳人・鈴木しづ子。本書は、いまなお居所はおろか生死も不明の『幻の俳人』の軌跡を追ったノンフィクション・ノベルである。『実石榴のかつと割れたる情痴かな』『夏みかん酸っぱしいまさら純潔など』。敗戦でいかに旧来の価値観が排されたにせよ、それはまだ理念としてなのであり、若い女性が性を詠むなどは不謹慎極まると受け取る風潮が支配的だった。スキャンダラスな興味で彼女を迎えた読者にも、無理もないところはあるだろう。しかし、彼女への下卑た評価はあまりにもひどかった。著者の関心は、これら無責任な流言から彼女を解き放ち、等身大のしづ子を描き、その句の真の意味と魅力を確認することに向けられている。そのために、彼女の親族や知人に会うなど、十数年に及ぶ歳月が費やされた。彼女の俳句にそそいだ愛情と才能を、スキャンダルの渦に埋没させたままにはしたくなかったからだ。戦時中は町工場に勤め、そこで俳句の手ほどきを受け、名前を知られてからは米兵相手のダンサーとなり、のちに基地のタイピストとして働いた。離婚歴もあり、これらの経歴を表面的につきまぜた『しづ子伝説』は現在でも生きている。著者は彼女の出生時から筆を起こし、実にていねいに『伝説』の数多の虚偽から彼女を救いだしてゆく。同時に折々の作句動機に触れることで、しづ子作品を再評価しているあたりも圧巻だ。これから読む人のために、本書の結末は書かないでおくが、才能豊かで意志の強い若い女性が時代や世間の波に翻弄されてゆく姿はいたましい。いかに彼女が『明星に思ひ返へせどまがふなし』と胸を張ろうともである」。掲句は結城昌治『俳句つれづれ草』所載。(清水哲男)
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