廣島忌。朝から非常に暑かったという。爆風で土手に埋まって助かった友人がいる。




1998ソスN8ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0681998

 東京と生死をちかふ盛夏かな

                           鈴木しづ子

の俳人の句。前書に「爆撃はげし」とあるから、戦争も末期の句だ。このとき作者は二十代前半である。工作機械を製造する会社に、トレース工として勤めていた。解説するまでもない句だが、気性の激しい軍国少女の典型的な表情が浮かび上がってくる。当時の婦人雑誌の表紙をかざっていた、工場などで鉢巻き姿で働く女性の表情を思い起こさせる。「ウチテシヤマム」の心意気なのだ。決して上手な句とは言えないけれど、一度心に決めたら梃子でも動かぬ女性のありようが胸に響く。とても美しいひとだったらしい。「夫ならぬひとによりそふ青嵐」の句にも見られるように、恋多き女性だったことでも有名だったようだ。したがって、ずいぶんと俳壇ジャーナリズムにももてはやされていたというが、1959年に句作を中断した後に、ふっつりと消息がつかめなくなった。現在も、わからないままである。もちろん生死のほども不明で、存命であれば今年で79歳だから、お元気でおられる可能性は高い。一度心に決めたら梃子でも動かぬ気性を、この日本のどこかで貫いておられるのだろう。『春雷』(1952)所収。(清水哲男)


August 0581998

 縛されて念力光る兜虫

                           秋元不死男

虫をつかまえてくると、身体に糸を結び付けてマッチ箱などを引っ張らせて遊んだ。昔の子供にとっては夏休みの楽しみのひとつだったが、作者からすれば兜虫は「縛されて」いるのであり、文字通りに五分の魂を発揮して、こんなことでくじけてたまるかという念力の火だるまのように見えている。弱者への強い愛情の目が光っている。これだけでも鋭い句だが、ここに作者の閲歴を重ね合わせて読むと、さらに深みが増してくる。秋元不死男は、戦前に東京三(ひがし・きょうぞう)の名前で新興俳句の若手として活躍中に、治安維持法違反の疑いで投獄された過去を持つ。したがってこの句は、当時の自分自身や仲間たちの姿にも擬せられているというわけだ。戦後は有季定型に回帰して脚光を浴びたのだが、没後(1977没)の評価はなぜかパッとしない。なかには「不孝な転向者」という人もいるほどだ。そうだろうか。この句や「カチカチと義足の歩幅八・一五」などを読むかぎりでは、有季定型のなかでも社会のありようへの批評精神は健在だと読めるのだが……。『万座』所収。(清水哲男)


August 0481998

 昼顔にレールを磨く男かな

                           村上鬼城

城は、大正期の「ホトトギス」を代表する俳人。鳥取藩江戸屋敷生まれ(1865)というから、れっきとした武家の出である。司法官を志すも、耳疾のために断念。やむなく、群馬県の高崎で代書業に従事した(余談だが、侍の末裔に提灯屋や傘屋などが多いのは、鬼城ほどではないにしても、みな一応は文字が書けたからである)。ところで、このレールは蒸気機関車の走る鉄道のそれだろう。いまでは想像もおぼつかないが、錆びつかないようにレールを磨く(保守する)仕事があったというわけだ。黙々とレールを磨く男と、線路の木柵にからみついて咲いている数輪の昼顔の花。炎天下、いずれもが消え入りそうな様子である。けれども同情はあるにしても哀れというのではなく、むしろ猛暑のなかに溶け入るかのように共存していると見える、男と花の恍惚状態をとらえていると読んだ。耳の聞こえなかった作者ならではの着眼と言えるだろう。が、考えてみれば、誰にとっても真夏の真昼という時間帯は、限りなく無音の世界に近いのではあるまいか。(清水哲男)




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