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August 0881998

 ゆきひらに粥噴きそめし今朝の秋

                           石川桂郎

秋。句のように「今朝の秋」とも、あるいは「今日の秋」ともいう。暦の上では秋であるが、まだまだ暑い日がつづく。「そよりともせいで秋たつ事かいの」(鬼貫)の印象は、昔も今も変わらない。手紙などでの挨拶言葉は「残暑お見舞い」ということになる。とはいっても、暦の上だけであろうと、今日から「秋」と告げられてみると、昨日と変わらぬ暑さのなかにも、どこかで秋を感じたい神経が働くようになるから不思議だ。作者にも、そんな神経が働いているのだろう。「ゆきひら」は「行平なべ」のことで、薄い土鍋である。その土鍋から粥(かゆ)が噴きこぼれている様子は、季節はもう秋なのだと思うと、暑苦しさよりも清々しささえ感じられる。もしかすると作者は病気なのかもしれないが、「秋」の到来に心なしか体調もよくなってきた感じ。とにかく、おいしそうな朝粥ではないか。朝粥というと、私はどうしても香港のそれが忘れられない。安いし、うまい。秘訣はわかっている。いっぺんに大量に炊くからだ。「ゆきひら」の情緒はないにしても、うまさでは世界一だと思っている。この句を読むうちに、そんなことを思いだした。(清水哲男)


May 0852001

 春と夏と手さへ行きかふ更衣

                           上島鬼貫

治以降、「更衣(ころもがえ)」の風習は徐々にすたれてきて、いまでは制服のそれくらいしか残っていない。江戸期では旧暦四月一日になると、寒かろうがどうであろうが、みないっせいに綿入れから袷に着替えたものだという。非合理的な話ではあるけれど、合理よりも形式を重んじる生活も捨てがたい。形式としての「更衣」は社会的な気分一新の意味を持っていたろうし、いわば初夏に正月気分を据えたようなものである。その他にも種々あった形式行事の数々は、まずは「かたち」があってはじめて中身がそなわるという考えに従っている。権力構造との相似もちらりと頭をよぎる。が、アンチ権力表現としてのこの俳句自体が「かたち」を重んじてきたことを考えると、すべからく形式は精神的インフラに欠かせない条件なのかもしれない。もう少し、時間をかけて考えてみたい。さて、江戸期の俳人・鬼貫の句。今日よりの夏の衣服に手を通しながら、こうやって「春」と「夏」とが「行きかふ」のだなと、季節の移動を「手」の所作から発想しているところが楽しい。つまり「かたち」が季節を移動させているわけだ。其角の有名な句に「越後屋に衣さく音や更衣」がある。「越後屋」は呉服屋、三越の前身。この句でも、「音」という「かたち」が夏の到来を告げている。其角句のほうが一般受けはするだろうが、私は鬼貫の小さな所作から大きな季節感を歌った発想に軍配をあげておこう。他の鬼貫句は、坪内稔典の新著『上島鬼貫』(2001・神戸新聞総合出版センター)で読むことができる。(清水哲男)


January 0612005

 凭らざりし机の塵も六日かな

                           安住 敦

語は「六日」。元日から七日まではすべて季語として用いられてきたが、最近の歳時記では「六日」を外してしまったものが多い。実作で用いるにしても、掲句のように、正月が去っていくという漠然たる哀感を伝えることくらいしかできないからだろう。もはや、特別の日の感じは薄いのである。ところがどっこい、少なくとも江戸期まではとても重要な日とされていたようだ。上島鬼貫に「一きほひ六日の晩や打薺」がある。「薺(なずな)」は春の七種の一つだ。そこでお勉強。昔は六日の日を「六日年」とか「六日年越」と呼んで、もう一度年をとり直す日だった。つまり翌七日が「七日正月」の式日なので、それが強く意識され、六日の夕方には採ってきた薺などを切りながら歌をうたい祝ったという。♪七種なづな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に……。こうして準備した菜は、もちろん翌朝の七種粥に入れて食べる。すなわち、二度目の大晦日(年越し)だったというわけだ。このように私たちの祖先は何かにこと寄せては、生活のなかで楽しみを見出していた。庶民の知恵というものだろうが、我々現代人もまた、クリスマスだのバレンタインだのと西洋の言い伝えにまで凭(よ)っているのだから、似たようなものである。が、決定的に異なるのは、昔の日本人には楽しみはすべて八百万の神々によって与えられるものという意識が強かった点だろう。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 1282012

 なでしこよ河原に石のやけるまで

                           上島鬼貫

島鬼貫(うえしま・おにつら)は、「まことの外に俳諧なし」と悟り、同時代の芭蕉に深く影響を与えました。「なでしこよ」と、呼びかけの間投詞「よ」を用いて、「なでしこ」への親愛の情を率直に示しています。「河原に石のやけるまで」は、梅雨が明けた七月、八月の炎暑のなかで、花、開く姿でしょう。夏の花、なでしこは、過酷な条件の中で咲いています。図鑑によると、日本の撫子は四種類あります。カワラナデシコ・ハマナデシコ・タカネナデシコ・ミヤマナデシコ。この夏、ロンドンでも、キャプテン・宮間なでしこたちが、芝生にボールの焼けるまで、存分に活躍してくれました。沢から流れ落ちる岩清水の川は澄み、宮間の大野に大和撫子は咲き乱れました。「なでしこジャパン」。当初は、この命名に戸惑いましたが、今や立派な花です。男子チームの活躍もあっぱれです。サッカーを見ていて、これは、鬼ごっこだな、と思いました。ニッポンのこどもたちが、世界の鬼ごっこで活躍できているのをみると、夏以上に熱くなります。なでしこよ、ニンジャたちよ、ありがとう。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)




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