阯、豐「蜻ィ蟷ウ縺ョ句

September 1291998

 日の砂州の獣骨白し秋の川

                           藤沢周平

年になって藤沢周平の俳句がまとまって発見された(「小説新潮」1998年9月号・藤沢周平特集参照)。作者がまだ結核で療養中の昭和二十年代の作品で、「のびどめ」という病院の療養仲間の俳句会の機関誌に「留次」の俳号(この俳号もいかにも彼らしい)で載せた67句である。もとより作家になる習作以前の句であるが、やはりここにも後年の人生の機微と人の世の哀歓をたくみにとらえた時代物作家の眼の光りを窺うことができる。これはおそらく「秋の川」のテーマで作ったみのらしく、「天の藍流して秋の川鳴れり」「雲映じその雲紅し秋の川」「秋の川芥も石もあらわれて」の句が並んで発表されている。周平句は、俳誌「海坂」(ここから、かの海坂藩の名が生まれた)に発表した句を含めて、生涯105句あるという。藤沢周平と俳句との関係は、意外と深いものかもしれない。(井川博年)


January 2212004

 軒を出て狗寒月に照らされる

                           藤沢周平

語は「寒月(冬の月)」。軒下にいた「狗(いぬ)」が、のそりと庭に出た。折しも月は中天にかかっており、煌々と狗を照らしだしたと言うのである。狗の輪郭も影のそれもがくっきりと写し出されていて、いかにも寒そうだ。寒夜の寂寥感も漂っている。いつか見たことのあるような、懐かしいような冬の夜の情景である。狗一匹の動きから、冷え込んだ夜の大気を連想させたところが巧い。なお初稿では「狗」の表記ではなく「犬」となっていて、私は「犬」のほうが良いと思う。この句は作家・藤沢周平の自信作だったらしく、色紙にはいつも「バカのひとつおぼえのように」この句を書いたという。エッセイに曰く。「この句は、むかしむかし百合山羽公先生にほめていただいた句なので、誰はばかるところもない。臆するところもなく書く。だが、同じひとに二枚も三枚も色紙を出されると、とたんに私の馬脚があらわれる。これはと思う手持ちの句は、『軒を出て』一句だけなのだ」。謙遜しているのではなく、正直な文章だ。彼が句作に集中したのは若き日の結核療養所時代の一年半ほどらしいから、そうそう手持ちがあるはずはない。いま、残された彼の句を見渡してみても、掲句に比肩するものは数句程度だ。でも、それで良いのである。そう思う。どんどん傑作の書ける人はむろん素晴らしいけれど、たまたま先生にほめられた一句を後生大事に抱えている素人同然の人のほうが、私は好きだ。人にはこうした「いじらしさ」があったほうが、人間としての味がよほど良く出る。作品以前に、人ありきではないか。俳句よりも人が大事。『藤沢周平句集』(1999・文藝春秋)所収。(清水哲男)


February 1422007

 雪崩るゝよ盆地の闇をゆるがして

                           藤沢周平

語は「雪崩るゝ」で春。雪崩はちょろちょろとしたほんの小規模のものから、天地をゆるがすような大雪崩までいろいろである。大雪だったのだろう、ようやく春を迎えようという時季に、寝静まった盆地の村の闇の夜をゆるがすような雪崩が突如起こる。「ゆるがして」といっても、盆地の一村が埋まってしまうほどの大規模のものではあるまい。しかし、盆地の斜面をドドドーッとずり落ちる雪崩の音に、安眠を破られた住人たちの驚きが暗闇のなかに見え隠れしている。静かな闇をゆさぶり起こす、まさに白い軍団。それでも、「雪崩るゝよ」の「よ」が、雪崩がそれほどスケールの大きいものではないことを物語っている。いったん目を覚まされた者も再び眠りに就き、おっとりした者は寝床のなかで「今夜も、またか」などと呟いて再び白河夜船か。手もとの歳時記に「雪崩です沈みゆく白い軍艦です」(田中芥子)というモダンな俳句が載っていて、ちょっと気になった。ほほう、軍艦ですか? 時代小説の名手藤沢周平は若い頃、野火止川近くの病院で療養中に賞味一年半ばかり、誘われて俳句を作ったことがあった。振りかえって「作句の方はのびなかった」「才能に見切りをつけた」とエッセイに書いている。「軒を出て狗寒月に照らされる」などは時代小説の一齣を思わせるが、やはり大立ち回りというよりは淡々と詠んだ句が多い。俳句は作るよりも読むほうにウエイトを置いたらしい。人事よりも自然のほうに心動かされたという。のちに小説「一茶」を書き、舞台化もされた。『藤沢周平句集』(1999)所収。(八木忠栄)


May 0952012

 葬列に桐の花の香かむさりぬ

                           藤沢周平

色が印象的な桐の花は、通常4月から5月上旬にかけて咲く。今の日本では産地へ行かないかぎり、桐の花を見ることがむずかしくなった。ちなみに桐の花は岩手県の県花である。10年近く前になろうか、中国の西安に行ったとき、田舎をバスで走りながら、菜の花の黄と麦の緑、それに桐の花の紫、三色を取り合わせた田園の風景に感嘆したことがあった。掲句は周平が、もともと「馬酔木」系の俳誌「海坂」1953年7月号に、四句同時に巻頭入選したなかの一句。他に「桐の花踏み葬列が通るなり」など、四句とも桐の花を詠んだものだった。このとき周平は肺結核で東村山の病院に入院中で、近くに桐の林があったという。残念ながら私は桐の花の香を嗅いだことはないけれど、しめやかに進む葬列を桐の花の香と色彩とが、木の下を進む葬列を包むようにかぶさっているのだろう。美しくやさしさが感じられるけれど、どこかはかなさも拭いきれない初夏の句である。このころ周平は最も辛い時代だったという。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)




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