放送に出てくれた女子中学生に40代だと言われた。にんまり…。それでいいのだ。




1998ソスN9ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1591998

 敬老の日といふまこと淋しき日

                           中村春逸

者については、何も知らない。したがって、このときの作者が何歳なのかもわからない。ただ考えることは、この句がみずからの本音として素直に肯定できるのは、何年後くらいだろうかといったことどもである。かつては「敬老の日」ではなく「老人の日」といった。私は「老人の日」のほうが好きだ。「敬老」とは、いかにも押しつけがましい。それに「敬老」では、主体であるはずの老人が消されてしまう。若い人が老人を敬うべき日の意味となる。余計なお世話である。この句は、多分そこらあたりへのいきどおりも含んでいると読める。戦後の日本人が失った徳目は多いが、また失われてしかるべきそれもあったけれど、なかで目立つのは先達への尊敬の念である。残っているとしても、たとえば「おばあちゃんの知恵」などに矮小化されており、自分の得にならない部分は全てカットしてきた。あさましいかぎりなのだ。こんな世の中を誰が作ったのか。と言えば、それがまた、本日敬われるべき存在の老人たちが作ってきたことにも間違いはない。作者の意図とは別に、誰にとってもまことに淋しい祝日が「敬老の日」だ。平井照敏編『新歳時記』(1989)所載。(清水哲男)


September 1491998

 射的屋のむすめものぐさ秋祭

                           小沢信男

屋がけの小さな射的屋。ほろ酔い気分のひやかし気分で、作者は的を射っている。だが、めでたく命中して下に落ちた景品に、なかなか店の娘が反応してくれないのだ。いちいち声をかけないと、動こうとはしない。そのうちに、だんだん腹が立ってくる。まだタマは残っているけれど、もう止めたっ。そんな情景だろうか。しかし、娘に立腹はしてみたものの、射的屋を離れて祭りの人込みにまぎれてみれば、目くじらを立てるほどのことでもなかったと、作者は苦笑しているようだ。あの娘だって、旅から旅の生活で疲れているんだろう。そう思えば、娘のやる気のないものぐさな態度も、許せるような気がしてくる。この秋の祭り情緒のひとつとして、やがては作者の胸のうちに溶けていってしまう。夏祭での出来事だと、気持ちはとてもこんな具合には収まるまい。かくのごとくに、秋は人の心をやさしくさせる。この句を読んで、子供のときの村祭りを思い出した。特別にもらった十円ほどの小遣いを握り締めて、つまらない小物ばかりを買っていた。射的屋もものぐさ娘も、ただ仰ぎ見るだけの存在だった。『足の裏』(1998)所収。(清水哲男)


September 1391998

 観覧車より東京の竹の春

                           黛まどか

は秋になると青々と枝葉を茂らせる。この状態が「竹の春」。作者によれば、この観覧車は向丘遊園のそれだそうだが、そこからこのように竹林が見えるとなると、一度行ってみたい気になった。最近の東京では、郊外でもなかなか竹林にはお目にかかれない。竹は心地よい。元来が草の仲間だから、木には感じられない清潔な雰囲気がある。木には欲があるが、竹にはない。観覧車から見える竹林には、おそらく草原ないしは草叢に似た趣きがあるだろう。作者の責任ではないにしても、せっかくの「東京の竹の春」なのだから、こんなに簡単に突き放すのではなくて、もう少しどのように見えたかを伝えてほしかった。「竹の春」という季語に、よりかかり過ぎているのが残念だ。惜しい句だ。ところで、世界でいちばん有名な観覧車といえば、映画『第三の男』に出てきたウィーンの遊園地の大観覧車だろう。今でもあるそうだが、実際に見たことはない。男同士で観覧車に乗るという発想の奇抜さもさることながら、あの観覧車自体が持っている哀しげな表情を気に入っている。映画のストーリーとは無関係に、ウィーンの観覧車は、どんな遊園地にもつきまとう「宴の哀しみ」を象徴しているように思える。あれに乗ると、何が見えるのだろうか。誰か、俳句に詠んでいないだろうか。『恋する俳句』(1998)所収。(清水哲男)




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