彼岸花の毒には動物も逃げる。墓地に植えたのは野犬に荒らされないため(産経)。




1998ソスN9ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2191998

 夕刊を読む秋の灯をともしけり

                           吉屋信子

の日暮れは早い。夏の間は夕刊も自然光で読めたのに、秋も深まってくると灯をともす必要が出てくる。なんということもない句だが、このなんともなさが秋の夕暮れのしみじみとした情趣をよく伝えている。作者は小説家だったから、夕刊で真っ先に読むのは連載小説だったろうか。それとも同業者の書くものなどはハナから無視して、三面記事から読みはじめたのだろうか。そんなことを空想するのも楽しい。この句は、俳句的には吉屋信子最後の作品である。1972年に、77歳で亡くなる三カ月ほど前に詠まれている。句の観賞にこの事実を知る必要はないのだけれど、知ってしまうと、句のよさが一段と心にしみてくるのは人情というものだろう。ちかごろの夕刊は余計なお世話みたいな記事が多くてつまらないが、当時はまだまだ硬派で、記事を読み解く面白さがあった。作者ならずとも、配達を待ちかねて秋の灯をともした読者は多かったはずである。昔はよかった。『吉屋信子句集』(1974)所収。(清水哲男)


September 2091998

 虫なくや我れと湯を呑む影法師

                           前田普羅

んでいるのは「茶」ではなく「白湯」。健康上の理由からだろうか、この頃の普羅は「白湯」を呑むことに努めていたようだ。「がぶがぶと白湯呑みなれて冬籠」の句もある。白湯だから味わって呑むのではなく、一気のガブ呑みだ。ふと見ると、壁に写った影法師も同じ姿で一生懸命に付き合ってくれている。外では、虫の音しきり。わびしいような滑稽なような、作者の文字通りの微苦笑が目に見えるようだ。ところで「影法師」であるが、光源は電灯だろうか、それともランプだろうか。大正も初期の句だから、このあたりは問題だ。どちらの可能性もある。私の好みとしてはランプの光にゆらゆらと揺れているほうが面白いのだが、実際のところはわからない。普羅の略歴を読んでも、そんなことは書いてない。古い作品は、これだから厄介だ。ただ、光源が何であれ、一つ言えることは、当時の人たちはみな、現代の私たち以上に灯りには敏感だったということである。句のように影法師に着目するのも、そのあらわれだろう。光あるところには必ず影があるというわけだ。いまは、光の氾濫が影の存在を希薄にしている。精神のありように影響しないはずはない。中西舗士編『雪山』(1992)所収。(清水哲男)


September 1991998

 かなかなや師弟の道も恋に似る

                           瀧 春一

近ある雑誌で、この句を男の師に対する女弟子の恋、ととらえた解釈を見た。確かに、いわれればそう思っても間違いではない。虚子と久女とかなんとか、すぐそういう方向に話が行く。ところが、違うのですね。この句には後書があり、そこには「水原秋桜子先生を訪問。現在の俳句観を述べ諒解を求む」とあり、その後の自註に「昭和二十二年『馬酔木』離散」とあるのだ。これはなんだ!  春一先生の秋桜子先生への訣別の句だったのだ。師を見限ったということか。それにしても「まぎらわしい」名句である。離別後、晩年になって、春一は『馬酔木』に復帰すべく石田波郷を同伴、秋桜子の元に行く。秋桜子、黙って以前と同じ序列で春一を迎えたという。いい話でしょう……。ところで、まだかなかな(蜩)は鳴いてますか?(井川博年)




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