September 291998
秋晴のひびきをきけり目玉焼
田中正一
カーンと気持ちよく晴れ上がった秋の空。朝食だろう。出来たてで、まだジュージューいっている目玉焼きを勢いよく食卓に置いたところだ。「ひびきをきけり」が、よく利いている。乱暴に置いたのではなく、さあ「食べるぞ」と気合いを入れて置いたのである。目玉焼きは英語でもずばり「サニーサイド・アップ」というように、太陽を連想させる。日本の四季のなかでは、ちょっと黄みがかった秋の太陽にいちばん近いだろう。その意味からも、句の季節設定には無理がないのである。ところで、秋というと天気のよい澄んだ日を思い浮かべるのが普通だが、気象統計を見ると、秋は曇りや雨の日がむしろ多い。なかなか、句のようには晴れてくれないのだ。だから秋晴れが珍重されてきたのかといえば、そうでもなくて、私たちは毎年のように「今年の秋は天気が悪い」などと、ブツブツ言い暮らしている。あくまでも、根拠もなしに秋は天気がよいものと思い決めているのは、なぜなのだろうか。『昭和俳句選集』(1977)所収。(清水哲男)
December 252001
椅子かつぐひとにつづけり年の暮
田中正一
家具屋の店員が配達の「椅子」をかついでいると読んでは、面白くない。当たり前にすぎるからだ。そうではなくて、たとえばスーツ姿のサラリーマンがかついでいる。普段ならよほど奇異に見えるはずだが、この時期であれば年用意のためと思えるので、不思議には感じない。きっと年内配達は無理と言われ、それならばと自分で引っかついで帰るところなのだろう。後ろを行く作者は、そんなふうに納得している。納得しないと、とても「椅子かつぐひと」につづくことなどは不気味でできない。歳末ゆえ、奇異とも思わずにつづくことができるわけだ。普段とは違う「年の暮」の街の状態を、一脚の「椅子」の扱われようで簡潔に描き出していて秀逸である。それにしても、この人。このあとで電車に乗るようなことがあったら、車内の座席ではなく、この「椅子」に腰掛けていくのだろうか。愉快な図だ。とまあ、これは句意に関係はないけれど……。このように、歳末ともなると、電化製品など大きな荷物を運ぶ人が増えてくる。そこが泥棒の付け目だと、聞いたことがある。どこやらの放送局から、スタンウェイだったかの高価なピアノを、四五人の男が白昼堂々と運び去ったのも、やはりこの時期だったように思う。ご用心。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)
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