木犀が香りはじめた。今日は十五夜。明日の朝刊で名月を知る人の方が多いだろう。




1998ソスN10ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 05101998

 玉霰夜鷹は月に帰るめり

                           小林一茶

は天心にある。さながら玉霰(たまあられ)のように降り注ぐ月光。夜鷹は淋しくも孤独に空をのぼって、あの美しい月に帰っていくのだろうな……。と、実はここまでは隠し味である。「夜鷹」といえば、江戸期にはこの夜行性の鳥の連想から下等な娼婦を指した。芝の愛宕下や両国橋などに、毎夜ゴザ一枚を持って商売に出たという。一茶には、そうした女と接触を持った体験もある。そんな女たちが、月の光りを霰と浴びて、今夜は月に帰っていくのだ。娼婦を天使に見立てる発想は西洋にもあるが、一茶の発想もかぐや姫などの「天女」に近いイメージになぞらえているわけで、興味深い。もとより作者に軽蔑の思いは微塵もなく、淪落した女の運命に満腔の同情と涙を寄せている。このあたりの世俗へのまなざしを見ると、芭蕉などとはまったく志を異にした詩人であったことがよくわかる。一茶句のなかでは、あまり知られていない句だと思うが、名月の季節に読むととりわけて心にしみる。月の光りが鮮やかなだけに、当時の闇の深さも読者の身に迫ってくる。『七番日記』に出てくる句だ。(清水哲男)


October 04101998

 誰もゐない山の奥にて狂ふ秋

                           沼尻巳津子

節そのものを人間になぞらえる手法は、詩歌では珍しいことではない。春夏秋冬、いずれの季節にも人間と同じような姿や性格を与えることができる。また、その逆も可能だ。そんななかでこの句は、常識的な秋のイメージをこわしてみせており、こわすことによって、秋という季節を感覚的により深めようとしている。さわやかな秋。その秋が「誰もゐない山の奥」で静かに狂いはじめていると想像することは、頭脳明晰であるがゆえに狂気を内在させている感じの人間を想起させたりする。なべて明晰なるものは狂気を内包する。……とまでは言い切っていないのかもしれないが、不気味な印象が残る句だ。この「秋」を他の季節に置き換えて考えてみたが、やはり「秋」とするのがもっともコワい。逆にそれだけ私たちの「秋」の印象は単純にパターン化されており、表情に乏しいということになるのだろう。『華彌撒』(1983)所収。(清水哲男)


October 03101998

 運動会今金色の刻に入る

                           堀内 薫

しかに、運動会には金色(こんじき)という形容にふさわしい刻(とき)がある。最後の種目、たとえば花の800メートル・リレー競争の行われるあたりが、その時刻だろう。競技も最高に(金色に)盛り上がるが、その頃になると日の光りも秋特有の金色となってくる。スタート・ラインに集まってくる選手たちの影が長く尾を引きはじめる時刻だ。活気溢れるイベントの最中に、はやくも金色の秋の日ざしが夕暮れの近さを告げているわけで、華やかな気分のなかに生まれてくる一種の衰亡感は、私たちのセンチメンタリズムを心地好く刺激してやまない。まさに、金色の刻ではないか。私は鈍足だったから、運動会は嫌いだった。が、たった一度だけ、二人三脚リレーで大成功した経験がある。それは、たまたま組んだ友人が左利きだったおかげであり、鈍足でも二位以下に大差をつけることができて、このときの快走だけは忘れられない。運動会のシーズンだ。たまに見に行くと、鈍足の子のことばかりが気にかかる。考えようによっては、最後の種目がはじまる頃が、そんな子たちにとっての別の意味での最高の「金色の刻」でもあるわけだ。(清水哲男)




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