おめでとう、横浜ベイスターズ。スターの力ではなくチーム力で勝つ野球の面白さ。




1998ソスN10ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 09101998

 勉強の音がするなり虫の中

                           飴山 實

の手柄は、なんといっても「勉強の音」と言ったところだ。いったい「勉強」に「音」などがあるだろうかと、疑問に思う読者のほうが多いかと思うが、ちゃんと「勉強」にも「音」はある。本のページをめくる音、ノートに何か書きつける音、茶を飲む音や独り言など、四囲から虫の音が聞こえてくるほどの静かな秋の夜であるから、かすかな室内の音までもがよく聞こえるのである。作者は眠りにつこうとしているのであり、隣の部屋では誰かがまだ勉強しているという図であろう。深夜、本をめくる音が気になると、私はそれぞれ別々のシチュエーションで、二度注意されたことがある。自宅では母に、下宿では同級生に……。いずれも襖一枚をへだてていたのだが、眠ろうとする人にとっては、相当にうるさく聞こえるらしいのだ。放送業界では「ペーパー・ノイズ」といって、台本などの紙をめくる音は大いに騒々しいので、素人の出演者にまで注意したりする。マイクがよく拾う音は、人間の耳にもうるさいということだろうか。句の作者は、しかし、うるさいと思っているわけではあるまい。「勉強」している人に、そしてその「音」に、好ましさを感じながら眠りにつこうとしているのだと思う。『少長集』(1971)所収。(清水哲男)


October 08101998

 黍噛んで芸は荒れゆく旅廻

                           平畑静塔

礼ながら、この句は出来過ぎだろう。食料難の時代の旅廻(たびまわり)の芝居の一座。今日も米が手に入らず、黍(きび)だけの貧しい食事だ。もしゃもしゃと黍を噛む生活では、当然、培ってきた芸も荒れていくだろう。作者は、そんな一座に同情しながらも、自暴自棄になっているような座員たちの姿には腹も立てているのではあるまいか。私が出来過ぎというのは、句のなかであまりにも作者が常識と常識的な判断根拠をつなげ過ぎているからだ。それこそ、まるで三文芝居のように、である。しかし、私はこの出来過ぎを嫌いではない。敗戦後の一時期、田舎にも(いや、田舎だったからこそ)旅の一座がめぐってきた。文字通りの小屋掛けの芝居を打ちにきた。それもただ、ひたすらに食料を求めるだけの目的で……と、後で知った。私は、そうした劇団のちっぽけな一観客。刈り取りの終わった田圃の急拵えの小屋の地面に座っていると、ズボンの尻から水分がじわじわと腰まで上がってくるのが常だった。舞台の芸が巧いのか、荒れているのかどうかもわからずに、私はそこで、主要なチャンバラ芝居のストーリーはみんな覚えた。この句を思い出すたびに、あのとき大人でなかった幸せを思うのである。(清水哲男)


October 07101998

 涸れ川を鹿が横ぎる書架の裏

                           中島斌雄

島斌雄。懐しい名前だ。二十歳にして「鶏頭陣」(小野蕪子主宰)の習作欄の選者となり、「沈みつつ野菊流るるひかりかな」(1931)のようなリリカルな句を数多く書き、戦後にはその清新な句風を慕って集まった寺山修司など多くの若い表現者に影響を与えた。今年は没後十年。懐しいと言ったのは、最近の俳句ジャーナリズムではほとんど目にしなくなった名前だからだ。なぜ、彼の名前が俳壇から消えたのか。それはおそらく、後年のこうした句風に関係があると思われる。端的に言えば、後年の斌雄の句は読者によくわからなくなってしまったのだ。この句について、理論家でもあった斌雄は、次のように解説している。「鹿のすがたが、書架をへだてて眺められるところが奇妙であろう。そんな風景は、この世に存在するはずはない……というのは、古い自然秩序を墨守する連中の断定にすぎまい。そこにこそ、新しい自然秩序、現実秩序があろうというものである。『書架』はあながち、文字どおりの書架である必要はないのだ。……」。ここだな、と思う。今の俳句でも、ここは大きな問題なのだ。自由詩では当たり前の世界が、俳句では大きな壁となる。その意味で、今なお中島斌雄は考えるに価する重要な俳人だと思う。『わが噴煙』(1973)所収。(清水哲男)




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