若いころ、徹夜で日本シリーズのチケットを求めたことを思い出した。今夜こそは。




1998ソスN10ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 18101998

 丹波栗母の小包かたむすび

                           杉本 寛

から小包が届いた。開けてみるまでもなく、この時季だから、中身は丹波の大栗と決まっている。しっかりとした「かたむすび」。この結び方で、同梱されているはずの便りを読まずとも、まずは母の健在が知れるのである。ガム・テープ全盛の現代では、こうしたコミュニケーションは失われてしまった。自分の靴の紐すら満足に結べない子供もいるそうで、紐結びの文化もいずれ姿を消してしまうのだろう。昔の強盗は家人を縄や紐で縛って逃走したものだが、いまではガム・テープ専門だ。下手に上手に(?)縛って逃げたりすると、かえってアシがつきやすい。最近では、あまり上手に縛り上げられていると、警察はとりあえずボーイ・スカウト関係者を洗い出したりする。いまだに未解決の「井の頭バラバラ事件」のときが、そうだった。紐がちゃんと結べるというのは、もはや特種技能に属するのだ。話は脱線したが、この句を書いた二年後に、作者は「年つまる母よりの荷の縄ゆるび」と詠んでいる。一本の細い縄もまた、かくのごとくに雄弁であった。『杉本寛集』(1989)所収。(清水哲男)


October 17101998

 星降るや秋刀魚の脂燃えたぎる

                           石橋秀野

く晴れた秋の夜、作者は戸外で秋刀魚を焼いている。第三者としてそんな主婦の姿を見かけたら、微笑を浮かべたくなるシーンであるが、作者当人の気持ちは切迫している。秋刀魚にボッと火がついて、火だるまになった様子を「燃えたぎる」と表現する作者は、名状しがたい自分の心の炎をそこに見ていると思われる。単なる生活句ではないのである。いや、作者が生活句として書こうとしても、どうしてもそこを逸脱してしまう気性が、彼女には生来そなわっていたというべきなのかもしれない。浅薄な言い方かもしれないが、火だるまになれる気性は男よりも数段、女のほうにあらわれるようだ。だから「生来」と、私としては言うしかないのである。上野さち子の名著『女性俳句の世界』(岩波新書)より、秀野の俳句観を孫引きしておく。敗戦直後の1947年の俳誌「風」に載った文章である。「俳句なんどなんのためにつくるのか。飯の足しになる訳ではなし、色気のあるものでもなし、阿呆の一念やむにやまれずひたすらに行ずると云ふより他に答へやうのないものである」。このとき、秀野三十九歳。掲句は1939年、三十一歳の作品だ。『桜濃く』(1959)所収。(清水哲男)


October 16101998

 駅前の蚯蚓鳴くこと市史にあり

                           高山れおな

の夜、何の虫かはわからないが、道端などでジーと鳴いている虫がある。淋しい鳴き声だ。これを昔の人は、蚯蚓(みみず)が鳴くのだと思ったらしい。実際には螻蛄(けら)の鳴き声である。で、ここから出てきたのが「蚯蚓鳴く」という秋の季語。虚子に「三味線をひくも淋しや蚯蚓なく」という小粋な句もあり、この季語を好む俳人は昔から多いようだ。ところで掲句は、鳴くわけもない蚯蚓が駅前で鳴いていたことが、ちゃんと市史には載っていますよと報告している。そんなことが市史に載っているわけはないのだが、この二重に吹かれたホラが面白い。ホラもこんな具合に二つ重ねられると、一瞬なんだか真実のようにも思えたりするから不思議だ。関係者以外はほとんど誰も読まない市史という分厚い本に対する皮肉とも読めるけれど、そんなふうに大真面目に取らないほうがよいだろう。情緒てんめんたる季語を逆手に取って、クスクス笑いしている作者とともに大いに楽しめばよいと思う。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます