李御寧『蛙はなぜ古池に飛びこんだか』(学生社)を図書館で借りた。面白さ抜群。




1998ソスN10ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 19101998

 あきぐみに陽の匂う風吹き来たる

                           金子兜太

通には「ぐみ(茱萸)」と言う地方が多いと思うが、植物名としては句のように「あきぐみ(秋茱萸)」と呼ぶのが正式だ。私の田舎ではそこここに原生しており、学校帰りに枝ごと折り取っては食べながら歩いたものだ。赤くて小さな実は甘酸っぱく、少し渋い。茱萸の実の熟れる十月の半ばともなると、山国の風は冷たさを増してくる。が、ときに恩寵のように柔らかく暖かな風が吹く日もある。この句はそんな風をとらえているが、なんという優しいまなざしであろう。実はそれも道理で、前書に「姪百世(ももよ)結婚」とあって、祝婚句なのだ。たぶん色紙に記されて贈られたであろうこの句を、新婚夫婦はどこに飾ったのだろうか。むりやりに句から教訓を引き出す(これが俳句読みのいけないところだと、李御寧が『蛙はなぜ古池に飛びこんだのか』で叱っている)必要もないけれど、恩寵のようなおだやかな風に恵まれた若い二人の生活にも、どこかに渋い味が隠されていることを、作者は言っておきたかったのかもしれない。代表作とはならないにしても、兜太の抒情的才質をうかがわせるに十分参考になる美しい作品だ。『皆之』(1986)所収。(清水哲男)


October 18101998

 丹波栗母の小包かたむすび

                           杉本 寛

から小包が届いた。開けてみるまでもなく、この時季だから、中身は丹波の大栗と決まっている。しっかりとした「かたむすび」。この結び方で、同梱されているはずの便りを読まずとも、まずは母の健在が知れるのである。ガム・テープ全盛の現代では、こうしたコミュニケーションは失われてしまった。自分の靴の紐すら満足に結べない子供もいるそうで、紐結びの文化もいずれ姿を消してしまうのだろう。昔の強盗は家人を縄や紐で縛って逃走したものだが、いまではガム・テープ専門だ。下手に上手に(?)縛って逃げたりすると、かえってアシがつきやすい。最近では、あまり上手に縛り上げられていると、警察はとりあえずボーイ・スカウト関係者を洗い出したりする。いまだに未解決の「井の頭バラバラ事件」のときが、そうだった。紐がちゃんと結べるというのは、もはや特種技能に属するのだ。話は脱線したが、この句を書いた二年後に、作者は「年つまる母よりの荷の縄ゆるび」と詠んでいる。一本の細い縄もまた、かくのごとくに雄弁であった。『杉本寛集』(1989)所収。(清水哲男)


October 17101998

 星降るや秋刀魚の脂燃えたぎる

                           石橋秀野

く晴れた秋の夜、作者は戸外で秋刀魚を焼いている。第三者としてそんな主婦の姿を見かけたら、微笑を浮かべたくなるシーンであるが、作者当人の気持ちは切迫している。秋刀魚にボッと火がついて、火だるまになった様子を「燃えたぎる」と表現する作者は、名状しがたい自分の心の炎をそこに見ていると思われる。単なる生活句ではないのである。いや、作者が生活句として書こうとしても、どうしてもそこを逸脱してしまう気性が、彼女には生来そなわっていたというべきなのかもしれない。浅薄な言い方かもしれないが、火だるまになれる気性は男よりも数段、女のほうにあらわれるようだ。だから「生来」と、私としては言うしかないのである。上野さち子の名著『女性俳句の世界』(岩波新書)より、秀野の俳句観を孫引きしておく。敗戦直後の1947年の俳誌「風」に載った文章である。「俳句なんどなんのためにつくるのか。飯の足しになる訳ではなし、色気のあるものでもなし、阿呆の一念やむにやまれずひたすらに行ずると云ふより他に答へやうのないものである」。このとき、秀野三十九歳。掲句は1939年、三十一歳の作品だ。『桜濃く』(1959)所収。(清水哲男)




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