メイン句サブ句とりまぜて、本日で1000句掲載とあいなりました。まだ先ゃ長い。




1998ソスN10ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 30101998

 たんたんの咳を出したる夜寒かな

                           芥川龍之介

書に「越後より来れる嫂、当歳の児を『たんたん』と云ふ」とある。「たんたん」は、当歳(数え年一歳)というのだから、まだ生まれて間もない赤ん坊の愛称だ。その赤ん坊が、夜中に咳をした。風邪をひかしてしまったのではないかと、ひとり机に向かっていた父親は「ひやり」としたのである。晩秋。龍之介の手元には、おそらくはもう火鉢があっただろう。同じ内容の句に「咳一つ赤子のしたる夜寒かな」があって、こちらの前書には「妻子はつとに眠り、われひとり机に向ひつつ」とある。どちらの句も、新米の父親像が飾り気なく書かれていて好感が持てる。いずれの句が優れているかは判定しがたいところだが、「たんたん」のほうに俳諧的な面白みは出ているように思う。実際、新米の父親というものは仕様がない。赤ん坊の咳一つにも、こんなふうにうろたえてしまい、おろおろするばかりなのである。この句を読むと、我が身のそんな日々のことを懐しく思い出してしまう。龍之介もまた、しばらくの間は原稿を書くどころじゃない気分だったろう。『澄江堂句集』(1927)所収。(清水哲男)


October 29101998

 丸善にノートを買つて鰯雲

                           依光陽子

五十回(今年度)角川俳句章受賞作「朗朗」五十句のうちの一句。作者は三十四歳、東京在住。技巧のかった句ばかり読んでいると、逆にこういう素直な作品が心にしみる。日本橋の丸善といえば洋書専門店のイメージが強いが、文房具なども売っている。そこで作者は気に入ったノートを求め、表に出たところで空を見上げた。秋晴れの空には鰯雲。気に入った買い物をした後は、心に充実した余裕とでもいうべき状態が生まれ、ビルの谷間からでも空を見上げたくなったりする。都会生活のそんな一齣を、初々しいまなざしでスケッチした佳句である。鰯雲の句では、なんといっても加藤楸邨の「鰯雲ひとに告ぐべきことならず」が名高い。空の明るさと心の暗さを対比させた名句であり、この句があるために、後発の俳人はなかなか鰯雲を心理劇的には詠めなくなっている。で、最近の鰯雲作品は掲句のように、心の明るさを鰯雲で強調する傾向のものが多いようだ。いわば「一周遅れの明るさ」である。有季定型句では、ままこういうことが生じる。その意味でも、後発の俳人はけっこう大変なのである。「俳句」(1998年11月号)所載。(清水哲男)


October 28101998

 信号の青つぎも青夕時雨

                           清水 崑

者の家から荻窪へ行く途中のバス停に、清水二丁目というのがあって、その標識に左に清水一丁目、右に清水三丁目とある。そこを通るとき、いつもこの句を思い出すのだ。作者が清水で、すべて清水だらけというのがおかしい(このインターネットの発信者も清水さんです)。ちなみに、そのすぐ近くには井伏鱒二の家があり、井伏は「清水町の先生」と呼ばれていました。河童の絵と政治マンガで知られる清水崑は文壇句会の常連で、『狐音句集』がある。この題も洒落てますね。音(おん)の「コオン」と狐の鳴き声の「コン」と「崑」。この句と句集については、車谷弘『わが俳句交遊記』で覚えた。冬の句では「古本の化けて今川焼愛し」が面白い。山から初時雨の便りが聞こえてきます。俳句では、そろそろ秋も終り。(井川博年)

[清水付記・もう三十年も前の鎌倉の飲み屋で、清水崑さんと同席したことを思い出した。仕事でもなんでもなく、たまたま店が混んでいたので、そういうことになったのだった。なにせ崑さんは著名人だったので恐縮していたら、にこにこと「同じ清水ですなあ」とおっしゃってくださり、気が楽になった。]




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