前橋行き。上州名物はカカア天下とカラッ風。コンタクトの身には、後者がコワい。




1998ソスN11ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 01111998

 武蔵野は十一月の欅かな

                           松根東洋城

しかに、十一月の欅(けやき)は美しい。句の武蔵野がどのあたりを指すのかは不明だが、現在の武蔵野市でいえば成蹊大学通りの欅並木が有名である。この季節に黄葉した並木通りに立つと、句境がさわやかに感じられて心地よい。とはいえ、武蔵野市と欅の結びつきはそんなに古いものではなく、成蹊の欅も大正末期に植樹されたものだ。したがって、明治の人である國木田獨歩が『武蔵野』で書いているのは、欅ではなく楢(なら)の林の美しさである。「緑陰に紅葉に、様々の光景を呈する其妙は一寸西国地方又た東北の者には解し兼ねるのである」と威張っている。まだ、渋谷が村であった時代だ。しかし、獨歩の楢林もまた明治の特色なのであって、古く詩歌にうたわれた武蔵野は果てなき萱(かや)原によって代表される。獨歩は、その古い武蔵野のおもかげをなんとか見てみたいと思い、その気持ちが『武蔵野』執筆の動機となった。「『武蔵野の俤(おもかげ)は今纔(わずか)に入間郡に残れり』と自分は文政年間に出来た地図で見た事がある」というのが、開巻冒頭の一行だ。入間郡は、現在の埼玉県入間市。「武蔵野」というと、なんとなくいまの武蔵野市あたりと思っている人が多いようだが、そうではないことがわかる。渋谷なども含め、もっと広大な地域を指す呼称だった。(清水哲男)


October 31101998

 老人端座せり秋晴をあけ放ち

                           久米三汀

汀(さんてい)は、小説家・劇作家として有名だった久米正雄の俳号だ。といっても、彼の作品を読んだことのある人が、現代ではどれくらいいるだろうか。若い人は、名前すら知らないかもしれない。と、なんだか偉そうに書いている私も、実は受験浪人時代に『受験生の手記』を文庫本で読んだだけだ。秀才の弟に受験でも恋愛でも遅れをとり、ついに主人公が自殺に追い込まれるという暗い小説だった。ところで作者は、中学時代から俳壇の麒麟児とうたわれていた。だから、いわゆる文人俳句の人たちとは素養が違う。基本が、ちゃんとできていた。この句は昭和十年代前半のものと思われるが、なんでもない光景を、きちんと俳句にしてしまうところはさすがである。秋晴れの日、家の障子をすべて開けはなって、ひとり老人が背筋をのばして端然と座っている……。それだけのこと。が、この老いた男の様子はいかにもそれらしく、読者はまずそれに真面目にうなずくのだけれど、そのうちになんだか滑稽を覚えて笑えてくるのでもある。これが、いうところの「俳味」だろうか。何度思い出しても、飽きない味わいがある。『返り花』(1943)所収。(清水哲男)


October 30101998

 たんたんの咳を出したる夜寒かな

                           芥川龍之介

書に「越後より来れる嫂、当歳の児を『たんたん』と云ふ」とある。「たんたん」は、当歳(数え年一歳)というのだから、まだ生まれて間もない赤ん坊の愛称だ。その赤ん坊が、夜中に咳をした。風邪をひかしてしまったのではないかと、ひとり机に向かっていた父親は「ひやり」としたのである。晩秋。龍之介の手元には、おそらくはもう火鉢があっただろう。同じ内容の句に「咳一つ赤子のしたる夜寒かな」があって、こちらの前書には「妻子はつとに眠り、われひとり机に向ひつつ」とある。どちらの句も、新米の父親像が飾り気なく書かれていて好感が持てる。いずれの句が優れているかは判定しがたいところだが、「たんたん」のほうに俳諧的な面白みは出ているように思う。実際、新米の父親というものは仕様がない。赤ん坊の咳一つにも、こんなふうにうろたえてしまい、おろおろするばかりなのである。この句を読むと、我が身のそんな日々のことを懐しく思い出してしまう。龍之介もまた、しばらくの間は原稿を書くどころじゃない気分だったろう。『澄江堂句集』(1927)所収。(清水哲男)




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