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November 05111998

 団栗の己が落葉に埋れけり

                           渡辺水巴

語は「団栗(どんぐり)」。「落葉」も季語だが、こちらだと冬になってしまうので、この句の場合は秋の「団栗」だ。物の本によると、団栗はブナ科コナラ属の落葉高木である櫟(くぬぎ)の実のことをいうようだ。しかし一般的には、その他の楢(なら)や樫(かし)の実なども団栗と呼んできた。ま、それぞれの人がこれが団栗だと思っている実は、すべて団栗だということにしてもよいと思う。さて、この句は軽い句ではあるけれども、なかなかに読ませる。団栗というと、つい「ドングリコロコロ」の童謡みたいな様子をとらえてしまいがちなので、自分の葉っぱに埋もれている団栗の姿は新鮮にうつる。情景としてはありふれていても、このような句に仕立て上げたのは、やはり水巴の手柄というべきだろう。作句されたのは、明治三十九年(1906)。当時の水巴は東京・浅草に住んでいた。してみると、この頃の浅草には団栗のなる木もあったというわけだ。もしかすると、神社の社(もり)あたりかもしれない……。晩秋の都会の片隅での、これは微笑ましくも秀逸な発見の句である。『水巴句集』(1956)所収。(清水哲男)


October 23102004

 思ひ出してはあそぶポケットの団栗と

                           加藤楸邨

語は「団栗(どんぐり)」で秋。本来はクヌギの実のことを言ったようだが、一般的には似たような木の実の総称になっている。どこかに出かける途中で、気まぐれにいくつか団栗を拾ってポケットに入れた。出先でときどき「思ひ出しては」、ポケットに手を入れてまさぐりながら楽しんでいる。「あそぶ」とあるけれど、取り出して遊んだのではないだろう。たとえば会議中などに、大の男が素知らぬ顔で上着のポケットに手を入れ、懐かしい感触を楽しんでいる様子が想像されて微笑ましい。茶目っ気よりも、なんだかしいんとした情感を感じさせる句だ。「ポケットの団栗と」の「と」が、そう感じさせるのだ。ところで、ドングリは食べられる。縄文人の主食だったという説もあるくらいで、敗戦後の食糧難の時代には婦人雑誌などが盛んに奨励していたようだ。私も当時団子にした物を食べたことはあるが、飢えていたにもかかわらず、そんなに美味いものではなかったような気がする。いまでもたまに見かけるドングリのクッキーなどは、小麦粉の割合が格段に多いのだろう。ドングリの風味だけを味わうのならそうすべきで、100パーセントドングリ粉だけでは第一パサパサしてしまうし、とても風味だの風流だのとは言っていられないはずである。『加藤楸邨句集』(2004・芸林21世紀文庫)所収。(清水哲男)


September 0792007

 団栗を拾ひしあとも跼みゐる

                           石田郷子

べられるわけでもなく、団栗を拾うことにはさしたる現実的な意味はない。子供が遊びのために拾うか、大人がなんとなく拾うか。これを前者、子供の動作と受け取ると平凡な風景だろう。遊ぶために団栗を拾っている子供が、その姿勢のまま、虫の動きやら別の植物やら地上のもろもろの様子に気づいて見入っている。そこには子供の好奇心の典型があるだけで新鮮な詩情は感じられない。僕は後者、大人の句と取りたい。考えごとをしながら俯き加減に歩いていて、ふと、散らばっている団栗に目をやる。男は一瞬考えごとを中断して跼(かが)み込み、一個の団栗を手にする。手にした後、かがんだまま、またもとの思考の中に戻るのである。人間の動作の多くは合理性の中で行われるわけではない。日常的行動の端々は不合理や非条理に満ち満ちている。この句のようなひとつのカットが人間というものの複雑さを浮き彫りにする。『石田郷子作品集1』(2005)所収。(今井 聖)


September 1192011

 団栗の寝ん寝んころりころりかな

                           小林一茶

の句、いったいどういう意味かと考え始めても、なかなかしっくりした答が出てきません。でも、意味は不明でも、読んでいるとなぜか心の奥が明るくなるような気がします。心の奥を明るくしてくれる句なんて、めったにあるものではありません。だから意味なんてどうでもいいのです。言葉のよい調子が、読む人の気分を穏やかにしてくれるし、団栗の姿形も、どこかとぼけていて安心させてくれるものがあります。団栗というと、手のひらに乗せて転がしてみたくなります。そんなことをしても、なにがどうなるわけでもないのに、ただ転がしてみたくなります。この句、子守唄がそのまま入っていますが、安らかに眠ってしまったのは、団栗を握ったままの、日々の労働に疲れきった人の方なのでしょうか。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)




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