商品券をばらまくという。昔の配給切符みたいだな。必ずできるぞ、闇のルートが。




1998ソスN11ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 07111998

 あるほどの菊抛げ入れよ棺の中

                           夏目漱石

来数ある追悼吟のなかでも、屈指の名作と言えるだろう。手向けられたのは、大塚楠緒子という女性だ。楠緒子は、漱石の親友で美学者の大塚保治の夫人だった。短歌をよくした人で、漱石終生の恋人であったという説もある。彼女の訃報を、漱石は病中に聞いた。日記に「床の中で楠緒子さんの為に手向の句を作る」とある。句意は説明するまでもなく明らかだが、「抛(な)げ入れよ」という命令形が作者の悲嘆をよく表現しえている。誰にというのでもなく、やり場のない悲しみが咄嗟に激情的に吐かせた命令口調だ。漱石は俳句を、おおむね「現実とはちがう別天地のようなものとして」(坪内稔典)楽しんでいたのであるが、このときばかりは事情が違った。人生の非情を全身で受けとめ、現実をカッと睨み据えている。不自由な病床にあったことも手伝って、この睨み据えは全霊的であり、そのただならぬ気配には鬼気迫るものがある。挨拶としての哀悼をはるかに越えた作者の慟哭が、読む者にも泣けとごとくに伝わってくる。名作と言う所以である。『漱石俳句集』(岩波文庫・1990)所収。(清水哲男)


November 06111998

 ゐなくなるぞゐなくなるぞと残る虫

                           矢島渚男

の千草も虫の音も、枯れて淋しくなりにけり……。これはこれで素敵な詩だ。が、句のように枯れ果てる一歩手前の虫の音を、このようにとらえた作品は珍しくもあり見事でもある。ここで作者は、わずかに残った虫どもに「ゐなくなるぞ」と、いわば脅迫されている。この句を知ってからというものは、私も「今夜で消えるのか、明日までもつのか」などと、消えていく虫の声が気になって仕方がなくなってしまった。でも、ミもフタもない話をしておけば、虫の音が枯れてくるのは物理的な理由による。一つは、数が減ってくること。これは当たり前。もう一つは、虫の音は周知のようにハネをこすりあわせることで「声」のように聞こえるのだが、初秋のころには元気だったハネも、こすっているうちにだんだんと摩滅してくるからだ。で、晩秋ともなると擦り切れてしまい、哀れをもよおすような音しか出なくなってしまう。決して、虫が感傷的に鳴いているのではない。だが、その物理的な理由による消え入るような細い声を、このように聞いている人もいる。そう思うだけで、残った虫たちには失礼なことながら、逆に心温まる気持ちがしてくる。『梟』(1990)所収。(清水哲男)


November 05111998

 団栗の己が落葉に埋れけり

                           渡辺水巴

語は「団栗(どんぐり)」。「落葉」も季語だが、こちらだと冬になってしまうので、この句の場合は秋の「団栗」だ。物の本によると、団栗はブナ科コナラ属の落葉高木である櫟(くぬぎ)の実のことをいうようだ。しかし一般的には、その他の楢(なら)や樫(かし)の実なども団栗と呼んできた。ま、それぞれの人がこれが団栗だと思っている実は、すべて団栗だということにしてもよいと思う。さて、この句は軽い句ではあるけれども、なかなかに読ませる。団栗というと、つい「ドングリコロコロ」の童謡みたいな様子をとらえてしまいがちなので、自分の葉っぱに埋もれている団栗の姿は新鮮にうつる。情景としてはありふれていても、このような句に仕立て上げたのは、やはり水巴の手柄というべきだろう。作句されたのは、明治三十九年(1906)。当時の水巴は東京・浅草に住んでいた。してみると、この頃の浅草には団栗のなる木もあったというわけだ。もしかすると、神社の社(もり)あたりかもしれない……。晩秋の都会の片隅での、これは微笑ましくも秀逸な発見の句である。『水巴句集』(1956)所収。(清水哲男)




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