三鷹市芸術文化センターで「三木露風展」。キリスト者として目覚めた時代の全貌。




1998N118句(前日までの二句を含む)

November 08111998

 立冬の女生きいき両手に荷

                           岡本 眸

冬。毎年この文字に触れるだけで、寒気が増してくるように思われる。まだ秋色は濃いが、立冬を過ぎると東京あたりでも北風の吹く日が多くなり、北国からは雪の便りも聞こえてきて、日増しに寒くなってくる。そんな思いから、立冬となると、いささか気分が重くなるものだ。しかし、この句の女は立冬なんぞは知らないように、元気である。両手に重い荷物をぶら下げて、平然と歩いている。その姿は「生きいき」と輝いている。周囲の男どもは、たぶんしょぼくれた感じで歩いているのだろう。ここで作者は、この女に託して健康であることのありがたさ、素晴らしさを語っている。というのも、作者には大病で手術した体験があり、それだけになおさら健康には敏感であるわけだ。同じ時期の句に「爪のいろ明るく落葉はじまりぬ」がある。爪の色のよしあしは、健康のバロメーターという。この日の作者は、実に元気なのだ。この二句を読み合わせると、掲句の女は作者自身かもしれないと思えてきた。自画像と読むほうが適切かもしれない。そのほうが自分を突き放した感じがあるだけに、俳諧的には面白い。『冬』(1976)所収。(清水哲男)


November 07111998

 あるほどの菊抛げ入れよ棺の中

                           夏目漱石

来数ある追悼吟のなかでも、屈指の名作と言えるだろう。手向けられたのは、大塚楠緒子という女性だ。楠緒子は、漱石の親友で美学者の大塚保治の夫人だった。短歌をよくした人で、漱石終生の恋人であったという説もある。彼女の訃報を、漱石は病中に聞いた。日記に「床の中で楠緒子さんの為に手向の句を作る」とある。句意は説明するまでもなく明らかだが、「抛(な)げ入れよ」という命令形が作者の悲嘆をよく表現しえている。誰にというのでもなく、やり場のない悲しみが咄嗟に激情的に吐かせた命令口調だ。漱石は俳句を、おおむね「現実とはちがう別天地のようなものとして」(坪内稔典)楽しんでいたのであるが、このときばかりは事情が違った。人生の非情を全身で受けとめ、現実をカッと睨み据えている。不自由な病床にあったことも手伝って、この睨み据えは全霊的であり、そのただならぬ気配には鬼気迫るものがある。挨拶としての哀悼をはるかに越えた作者の慟哭が、読む者にも泣けとごとくに伝わってくる。名作と言う所以である。『漱石俳句集』(岩波文庫・1990)所収。(清水哲男)


November 06111998

 ゐなくなるぞゐなくなるぞと残る虫

                           矢島渚男

の千草も虫の音も、枯れて淋しくなりにけり……。これはこれで素敵な詩だ。が、句のように枯れ果てる一歩手前の虫の音を、このようにとらえた作品は珍しくもあり見事でもある。ここで作者は、わずかに残った虫どもに「ゐなくなるぞ」と、いわば脅迫されている。この句を知ってからというものは、私も「今夜で消えるのか、明日までもつのか」などと、消えていく虫の声が気になって仕方がなくなってしまった。でも、ミもフタもない話をしておけば、虫の音が枯れてくるのは物理的な理由による。一つは、数が減ってくること。これは当たり前。もう一つは、虫の音は周知のようにハネをこすりあわせることで「声」のように聞こえるのだが、初秋のころには元気だったハネも、こすっているうちにだんだんと摩滅してくるからだ。で、晩秋ともなると擦り切れてしまい、哀れをもよおすような音しか出なくなってしまう。決して、虫が感傷的に鳴いているのではない。だが、その物理的な理由による消え入るような細い声を、このように聞いている人もいる。そう思うだけで、残った虫たちには失礼なことながら、逆に心温まる気持ちがしてくる。『梟』(1990)所収。(清水哲男)




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