日米野球。観光団体をもてなす地元観光協会の感じ。個人的に張り切っても無駄だ。




1998蟷エ11譛9譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

November 09111998

 淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守

                           原 石鼎

正二年(1913)、深吉野での作品。俳句を読む楽しさは、句に仕掛けられた謎を解くことにある。推理小説では著者が謎を解いてみせるが、俳句では探偵の役が読者にゆだねられている。……とは、復本一郎氏の至言だ。ただ謎にもいろいろあって、句が生まれたときと同時代に生きていればなんでもない言葉が、時を経てわからなくなる謎がもっとも困る。俳句観賞というとき、こうした死語に費やされる説明の何と多いことか。句の「鹿火屋(かびや)」も代表的な例で、少年期に農村で暮らした私にも、これが季語だと言われてもピンと来ない。「鹿火屋」とは、田畑を鹿や猪に荒らされないために、夜間獣が嫌う臭いものを燻らせた小屋のことを言った。句のように、ときどき銅鑼(ドラ)を打ち鳴らしもしたらしい。森閑とした闇のなかで番人は夜通し起きているわけだから、その淋しさに耐えかねて、ガンガガーンと内心では遠慮しつつもしばしば打ちたくなっただろう。それを里で聞いている作者には、誰とも知らない彼の淋しさが心に凍み入るのである。石鼎が仕掛けた謎は、もとより「鹿火屋」にはなく、このときの「鹿火屋守」の心情や如何にということであった。『花影』(1937)所収。(清水哲男)


November 08111998

 立冬の女生きいき両手に荷

                           岡本 眸

冬。毎年この文字に触れるだけで、寒気が増してくるように思われる。まだ秋色は濃いが、立冬を過ぎると東京あたりでも北風の吹く日が多くなり、北国からは雪の便りも聞こえてきて、日増しに寒くなってくる。そんな思いから、立冬となると、いささか気分が重くなるものだ。しかし、この句の女は立冬なんぞは知らないように、元気である。両手に重い荷物をぶら下げて、平然と歩いている。その姿は「生きいき」と輝いている。周囲の男どもは、たぶんしょぼくれた感じで歩いているのだろう。ここで作者は、この女に託して健康であることのありがたさ、素晴らしさを語っている。というのも、作者には大病で手術した体験があり、それだけになおさら健康には敏感であるわけだ。同じ時期の句に「爪のいろ明るく落葉はじまりぬ」がある。爪の色のよしあしは、健康のバロメーターという。この日の作者は、実に元気なのだ。この二句を読み合わせると、掲句の女は作者自身かもしれないと思えてきた。自画像と読むほうが適切かもしれない。そのほうが自分を突き放した感じがあるだけに、俳諧的には面白い。『冬』(1976)所収。(清水哲男)


November 07111998

 あるほどの菊抛げ入れよ棺の中

                           夏目漱石

来数ある追悼吟のなかでも、屈指の名作と言えるだろう。手向けられたのは、大塚楠緒子という女性だ。楠緒子は、漱石の親友で美学者の大塚保治の夫人だった。短歌をよくした人で、漱石終生の恋人であったという説もある。彼女の訃報を、漱石は病中に聞いた。日記に「床の中で楠緒子さんの為に手向の句を作る」とある。句意は説明するまでもなく明らかだが、「抛(な)げ入れよ」という命令形が作者の悲嘆をよく表現しえている。誰にというのでもなく、やり場のない悲しみが咄嗟に激情的に吐かせた命令口調だ。漱石は俳句を、おおむね「現実とはちがう別天地のようなものとして」(坪内稔典)楽しんでいたのであるが、このときばかりは事情が違った。人生の非情を全身で受けとめ、現実をカッと睨み据えている。不自由な病床にあったことも手伝って、この睨み据えは全霊的であり、そのただならぬ気配には鬼気迫るものがある。挨拶としての哀悼をはるかに越えた作者の慟哭が、読む者にも泣けとごとくに伝わってくる。名作と言う所以である。『漱石俳句集』(岩波文庫・1990)所収。(清水哲男)




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