詩集も高価だが、句集も負けていない。純粋な読者が増えない原因はここにもある。




1998ソスN11ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 10111998

 秋冷のまなじりにあるみだれ髪

                           飯田蛇笏

の句を解説して、歌人であり小説家でもあった上田三四二は、『鑑賞現代俳句全集・第二巻』(立風書房・1980)で「僅々十七字の中から、明眸の女人の顔がくっきりと浮かび上がる」と述べている。そうだろうか。私が直覚的に感じるのは、美人(明眸)の顔というよりも、むしろ男にとっての女性の「性」そのものである。明眸にこしたことはないけれど、作者が訴えているのはそういうことではなくて、冷たい秋風のなかでのまなじりにかかった髪の毛に、不意に触発される男でなければ感じられない「性意識」なのではあるまいか。顔はさして問題ではなく、冷たい外気のなかにあってもなお熱く発現してしまう(と、男が感じる)「女」全体のありようを象徴させている句だと思う。昭和二十九年(1954)の作品というから、蛇笏は七十歳を間近にしていたわけで、単に美人の顔をそれとして詠むのであれば、このような技巧は不必要である。女の顔の美しさよりも、女の「性」のしたたかな熱さに、作者は一瞬たじろいでいるのだ。だからこそ「秋冷」の季語も利いてくるのである。『飯田蛇笏全句集』(1971)所収。(清水哲男)


November 09111998

 淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守

                           原 石鼎

正二年(1913)、深吉野での作品。俳句を読む楽しさは、句に仕掛けられた謎を解くことにある。推理小説では著者が謎を解いてみせるが、俳句では探偵の役が読者にゆだねられている。……とは、復本一郎氏の至言だ。ただ謎にもいろいろあって、句が生まれたときと同時代に生きていればなんでもない言葉が、時を経てわからなくなる謎がもっとも困る。俳句観賞というとき、こうした死語に費やされる説明の何と多いことか。句の「鹿火屋(かびや)」も代表的な例で、少年期に農村で暮らした私にも、これが季語だと言われてもピンと来ない。「鹿火屋」とは、田畑を鹿や猪に荒らされないために、夜間獣が嫌う臭いものを燻らせた小屋のことを言った。句のように、ときどき銅鑼(ドラ)を打ち鳴らしもしたらしい。森閑とした闇のなかで番人は夜通し起きているわけだから、その淋しさに耐えかねて、ガンガガーンと内心では遠慮しつつもしばしば打ちたくなっただろう。それを里で聞いている作者には、誰とも知らない彼の淋しさが心に凍み入るのである。石鼎が仕掛けた謎は、もとより「鹿火屋」にはなく、このときの「鹿火屋守」の心情や如何にということであった。『花影』(1937)所収。(清水哲男)


November 08111998

 立冬の女生きいき両手に荷

                           岡本 眸

冬。毎年この文字に触れるだけで、寒気が増してくるように思われる。まだ秋色は濃いが、立冬を過ぎると東京あたりでも北風の吹く日が多くなり、北国からは雪の便りも聞こえてきて、日増しに寒くなってくる。そんな思いから、立冬となると、いささか気分が重くなるものだ。しかし、この句の女は立冬なんぞは知らないように、元気である。両手に重い荷物をぶら下げて、平然と歩いている。その姿は「生きいき」と輝いている。周囲の男どもは、たぶんしょぼくれた感じで歩いているのだろう。ここで作者は、この女に託して健康であることのありがたさ、素晴らしさを語っている。というのも、作者には大病で手術した体験があり、それだけになおさら健康には敏感であるわけだ。同じ時期の句に「爪のいろ明るく落葉はじまりぬ」がある。爪の色のよしあしは、健康のバロメーターという。この日の作者は、実に元気なのだ。この二句を読み合わせると、掲句の女は作者自身かもしれないと思えてきた。自画像と読むほうが適切かもしれない。そのほうが自分を突き放した感じがあるだけに、俳諧的には面白い。『冬』(1976)所収。(清水哲男)




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