November 141998
朝餉なる小蕪がにほふやや寒く
及川 貞
季語は蕪(冬の季語)ではなくて、この場合は「やや寒」であり、季節は晩秋だ。いまでこそ蕪(かぶ)は一年中出回るようになったけれど、元来は晩秋から冬にかけて収穫された野菜である。不思議なもので、この時期になると香りが高くなってくる。暑い時期の蕪には、まったく匂いがない。したがって、晩秋の朝の食卓に出されたこの小蕪は、さぞかし匂い立っていたことだろう。味噌汁に入れられたのか、それとも糠味噌漬けであろうか。どちらでもよく、読者の好きなほうにまかされている。やや寒の朝の実感が小蕪の香りと実によく釣り合っており、こんなときにこそ「よくぞ日本に生まれけり」と合点したくなる。蕪は小蕪もよいが、大蕪もよい。私は京都に暮らしていたことがあるので、巨大な聖護院蕪は忘れられない。普通でも2キロくらいの重さはありそうだ。京都名産千枚漬を作るアレである。ただ、今年は天候不順の影響で、聖護院蕪の収穫も大幅に遅れているという。したがって、まだ京都でも千枚漬はそんなに出回ってはいないらしい。毎朝のように見ているテレビ番組『はなまるマーケット』(TBSテレビ系)の情報による。(清水哲男)
October 201999
うそ寒きラヂオや麺麭を焦がしけり
石田波郷
麺麭は食用の「パン」のこと。ちなみに、麺麭の「麺(めん)」は小麦粉のことであり、「麭(ほう)」は粉餅の意である。なるほど、考えられた当て字だとは思うが、難しい表記だ。さて、何となく寒い感じになってきた朝、作者はいつものようにパンを焼いている。習慣でつけているラジオの音も、今朝は何となく寒そうに聞こえてくる。昔のラヂオ(ラジオ)は茶の間の高いところなどに置いてあったから、台所からではよく聞こえない。そんなラジオに束の間、作者は聞き耳を立てていたのだろう。パンに心が戻ったときには、焦がしてしまっていた……。いまのトースターのように、焼き上がる時間をセットできなかったころの哀話(笑)だ。そこで作者は、うかつな失敗を犯した自分にちょっぴり腹を立てているわけだが、それが「うそ寒」い気持ちを倍加させている。ラジオの放送の中身も大したことはなかったようで、「うそ寒きラヂオ」という表現になった。肌身に感じる寒さにとどまらず、心のうそ寒さまでをも言い止めた句だ。寒いと言えば「嘘」になる「うそ寒さ」。と言うのは「真っ赤な嘘」(笑)で、本意は「薄寒さ」。客観的な「秋寒」などよりも、心理的な色彩の濃い言葉だ。こんな表現は、外国語にはないだろうな。(清水哲男)
October 272001
うそ寒き顔瞶め笑み浮かばしむ
岸田稚魚
季語は「うそ寒(やや寒)」で秋。「嘘寒」ではなく「うすら寒い」から来た言葉だろう。さて、作者が「瞶(みつ)め」ることで「笑み浮かばし」めた相手は誰だろう。書いてないのでわからないけれど、たぶん妻ではなかろうか。「うそ寒き顔」とは寒そうな顔というよりも、浮かない顔に近いような気がする。そんな表情に気がついた作者が、傍らから故意にじいっと「瞶め」やっているうちに、ようやく視線を感じた相手が、ちらりと微笑を返してきたのだった。ただ、現象的にはそれだけのことでしかない。考えてみれば、人と人との間には、このような交感がいつも行われている。とりたてて当人同士の記憶にとどまることもなく、すぐにお互いに忘れてしまうような交感だ。しかし、このような喜怒哀楽の次元にも達しないような淡い関係が頻繁にあるからこそ、人はいちいち自覚はしないのだが、なんとか生きていけるのだろう。他人の「おかげ」というときに、基本は日頃のこの種の淡い交流にこそ、実は盤石の基盤があると言っても過言ではないと思う。そして私などが深く感じ入るのは、この種の何でもない交感をそのまま記述して、何かを感じさせることのできる俳句という詩型のユニークさだ。自由詩のかなわないところが、確かにこのあたりに存在する。『雁渡し』(1951)所収。(清水哲男)
October 232010
やゝ寒く人に心を読まれたる
山内山彦
やや寒、うそ寒。いずれも晩秋の寒さなのでふるえるほどではないのだが、うそ寒の方が心情が濃い気がする。だからこそ、心を読まれたと感じた時の不意打ちにあったようなかすかなたじろぎと、やゝ寒という、あ、ひんやりという感じを心情をこめずに言っている言葉が呼び合うのだろう。これがうそ寒であったら、心持ちそのものがどこかうすら寒いということで、あたりまえな話になってしまいそうだ。思ったことがすぐ顔や態度に出るわかりやすいタイプは他人の心の中はあまりよくわからず、逆にいつも飄々として何を考えているかわからない人ほど、相手の考えていることを読めたりする。作者はきっと後者なのだろう。『春暉』(1997)所収。(今井肖子)
October 152011
詫状といふもの届きうそ寒し
山田弘子
やや寒、うそ寒、そぞろ寒、肌寒、秋の寒さはあれこれ微妙だ。『新歳時記 虚子編』(1995・三省堂)には、うそ寒を、やや寒やそぞろ寒と寒さの程度は同じとしながら、「くすぐられるやうな寒さ」とある。背筋がなんだかぞわぞわするような寒さということか。作者は詫状を前にして、複雑な思いでいる。それは決して「わざわざ詫状をお送り下さるほどのことでもないのに、かえって恐縮です」というのでも「まあきちんと謝っていただけばこちらももうそれで」というのでもない。差出人の名前を見て、忘れかけていた不快な思いがよみがえり、読まなくてもどんな文面か想像がついている。私の知る限りでは、明るく親しみやすくさっぱりとしたお人柄だった作者をして、こんな句を詠ませた人は誰だろうと思いながら、むっとしつつうそ寒の一句に仕立てた作者に感心しながら、その笑顔を思い出している。『彩 円虹例句集』(2008)所載。(今井肖子)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|