中野・哲学堂で余白句会。ここは井上円了が哲学をモチーフに作ったテーマパーク。




1998N1114句(前日までの二句を含む)

November 14111998

 朝餉なる小蕪がにほふやや寒く

                           及川 貞

語は蕪(冬の季語)ではなくて、この場合は「やや寒」であり、季節は晩秋だ。いまでこそ蕪(かぶ)は一年中出回るようになったけれど、元来は晩秋から冬にかけて収穫された野菜である。不思議なもので、この時期になると香りが高くなってくる。暑い時期の蕪には、まったく匂いがない。したがって、晩秋の朝の食卓に出されたこの小蕪は、さぞかし匂い立っていたことだろう。味噌汁に入れられたのか、それとも糠味噌漬けであろうか。どちらでもよく、読者の好きなほうにまかされている。やや寒の朝の実感が小蕪の香りと実によく釣り合っており、こんなときにこそ「よくぞ日本に生まれけり」と合点したくなる。蕪は小蕪もよいが、大蕪もよい。私は京都に暮らしていたことがあるので、巨大な聖護院蕪は忘れられない。普通でも2キロくらいの重さはありそうだ。京都名産千枚漬を作るアレである。ただ、今年は天候不順の影響で、聖護院蕪の収穫も大幅に遅れているという。したがって、まだ京都でも千枚漬はそんなに出回ってはいないらしい。毎朝のように見ているテレビ番組『はなまるマーケット』(TBSテレビ系)の情報による。(清水哲男)


November 13111998

 酒断って知る桎梏のごとき夜長

                           楠本憲吉

ィスキー一本くらいは軽くあけていたというのだから、作者は相当の酒豪であった。ために肝臓を冒され、「断酒という苦界に追放」されてしまった。酒好きの読者には、解説など不要であろう。秋の「夜長」の実感が胸をついてくるようだ。他にも俳句ともつぶやきともつかぬ「酒飲めぬ街にやたらに赤信号」があり、これまた酒飲みの心にしみてくる。自嘲的自解に曰く。「私が胃をやられたとき、今はもう故人の伯父が、『可哀相になあ。「たこ梅」のカウンターでおでんを肴に熱燗一杯やる人生の楽しみが、おまはんにはのうなってしまいよった。』ということばが、いまさら実感として思い出される」。それでなくとも長い夜の季節を、作者はどうやり過ごしていたのだろうか。というわけで、ま、おたがい「ほどほどに」やりましょうや……。ただし、この「ほどほどに」という言葉を酒飲みが大嫌いなことを、酒を飲まない人は知らないのだから、世の中は厄介である。『自選自解・楠本憲吉句集』(1985)所収。(清水哲男)


November 12111998

 これよりは菊の酒また菊枕

                           山口青邨

暦をむかえ、東大を定年退職する願書をしたためたときの感慨。自解がある。「大学におる頃は外では飲んでも宅では晩酌することはなかった。晩酌という言葉はいかにも老人めいた、飲酒家(さけのみ)めいた言葉で嫌いだ。大学を退いたら愉しみのために健康のためにすこし飲もうと思った。『菊の酒』は重陽の祝の酒だが盃に菊の花弁をうかべて飲み、災厄をはらうという中国の風習でもあった。句は菊の酒を飲み、菊枕をして、かぐわしい中に眠ろう、長い間の学究生活も一段落ついた、これからは悠々自適余生を楽しもう、有難いことだという意である」。昭和二十七年(1952)の作。宮仕えから解放される喜びが素直に出ているが、今日の読者からすると、なんだか呑気すぎるような気もする。高齢化社会など想像も及ばなかった時代だから、還暦すなわち余生へと、気持ちが自然につながっているせいである。それにしても「晩酌」という言葉が嫌いな人がいたことには、ちょっとびっくりしてしまった。そんなに老人くさい言葉ですかねエ。ちなみに、青邨の没年は昭和六十三年(1988)で、享年は九十六歳。長い長い余生であった。『冬青空』(1957)所収。(清水哲男)




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